人との縁も、無理は禁物。この人は面白そうだから長くつきあいたいと思ったら、僕は自然に疎遠にするんです。すぐに電話をして会おうとなんてしない。何年かに一回会ってもいいし、時々手紙のやりとりをするぐらいでもいい。「人と契らばうすく契りて」という古い言葉がありますが、油のような濃密な関係は長く続きません。どこかで喧嘩別れをする。そのためにも、孤独でも、依代となるモノで回想を楽しむのがいいと思います。
僕は、もともと人づきあいがよいほうではないので、直木賞の授賞式以外はどんな文壇のパーティにも出ないで過ごしてきました。最初のデビューが金沢で、4〜5年は東京のジャーナリズムとは距離があったこともあります。孤独はちっとも気にならない。雑多な本が周りにあれば、済んでしまう。
交友関係を積極的に広げることもありません。そのひとつの理由には、育ちがあるかもしれません。両親とも教師で、しょっちゅう転勤があり、幼少時代は転々と暮らしていました。友だちとなじんでもすぐ転校してしまう。小学校は3回、中学校は3回変わりました。デラシネ(根なし草)的な生き方が子どもの頃から身についているのかもしれません。
『捨てない生きかた』(マガジンハウス刊)何年も着ていない服や、古い靴、鞄、本、小物たち。一見、何の役にも立たないように見える愛着のある「ガラクタ」こそ、後半生を豊かに生きるために大切にすべき回想の友であると提言。捨てる身軽さより、捨てない豊かさに気づかされる、コロナ以降の新時代の生きるヒントが詰まっている。
『捨てない生きかた』Amazon販売ページはこちら>> 撮影/伊藤彰紀〈aosora〉(人物) 取材・文/小倉理加
『家庭画報』2022年6月号掲載。
この記事の情報は、掲載号の発売当時のものです。