河野万里子(こうの・まりこ)1959年生まれ。翻訳家。上智大学外国語学部フランス語学科卒業。上智大学外国語学部非常勤講師。主な訳書に、フランソワーズ・サガン『悲しみよこんにちは』、サン=テグジュペリ『星の王子さま』、シドニー=ガブリエル・コレット『シェリ』などがある。没後15年を経て発見された幻の遺作
フランソワーズ・サガンの世界を堪能
フランソワーズ・サガンが心臓疾患のために亡くなったのは、2004年のこと。69歳だった。その15年後、遺産を相続した息子のドニ・ウェストフが偶然発見したタイプ原稿が、奇跡の未発表作品として公表されたのが本作だ。
1990年以降のサガンの作品の翻訳を担当し、旧作の再訳も手がける河野万里子さんに話を聞いた。
「この発見はフランスで大きなニュースになり、作品も“これぞサガン”と絶賛されました。フランスでの発売直後に出版社から連絡を受けて二つ返事で翻訳を引き受けたのですが、嬉しさと、最晩年の作品ゆえ、ほんの少しの不安もありました。こわごわと読み進めたものの、情景描写や恋愛の描き方など、実にサガンらしい物語世界に、すぐに引き込まれていきました」
いわゆる“サガネスク=サガン的世界”──しばしば不道徳で、バロック音楽にも似た味わいがあり、予期せぬ出来事から波瀾万丈の展開となる(ドニ・ウェストフによる「はじめに」より)──は健在だ。
「サガンの小説は、実は構成が端正なんです。その点から考えると、全17章のうちの1〜3章はスケッチ風で、もう少し推敲するつもりだったのではないかと想像されます。4章以降は俄然物語が動きだして、サガンならではの美しい愛のシーンや情景描写が冴え渡りますが、ぷっつりと未完のまま終わります。この特別な作品には、結末も含め、“もしかしたらサガンはこうしたかったのかも?”とあれこれ想像しながら味わう楽しみもあります」
1991年、“サガンの新たな翻訳者”として本格デビューした河野さんにとって、サガンはどんな存在の作家なのだろう?
「母が『悲しみよこんにちは』に熱狂した世代で、その影響で私も読みましたが、高校生だった当時はよく理解できませんでした。けれども、大学でフランス語を専攻したのは、あの小説がずっと心から離れなかったから。その後、サガンの翻訳者としてデビューしたのですから、私の人生の方向を決定づけ、翻訳者としての自分を育ててくれた作家といえます」
最後に、サガンとこの作品の魅力について伺った。
「サガンの魅力は、なんといっても、“切れ味のよさと繊細さ”にあります。余計なことをいわずともすべてを語るシャープさ、人間心理に対する洞察の深さ。加えて、くすっと笑ってしまう独特のユーモアもあります。また、この作品には“死”についてのメッセージも込められています。何か悲しみや障害にぶつかったときに読み返して心の支えとしたくなるような、“サガンからの最後のプレゼント”です」
装画/ベルナール・ビュッフェ 装幀/佐々木 暁『打ちのめされた心は』
フランソワーズ・サガン 著 河野万里子 訳/河出書房新社舞台は、フランスのやや西部に位置するトゥーレーヌ地方の大豪邸。若い夫婦と、妻の母、夫の父とその後妻、後妻の弟が繰り広げる“サガネスク=サガン的世界”。友人だったビュッフェの装画を用いた粋な装幀も素晴らしい。
「#今月の本」の記事をもっと見る>> 構成・文/安藤菜穂子 撮影/田形千紘(河野さん)、本誌・中島里小梨(本)
『家庭画報』2022年6月号掲載。
この記事の情報は、掲載号の発売当時のものです。