さらに、サヤカさんが悔やむのは、内藤さんが離婚した翌年には、もう大邸宅を買ってしまったのを止められなかったことだ。年を取って独居とわかっていたら、小ぢんまりしたマンションを考えるのが普通だろう。
ところが、彼女はあっという間に戸建ての4LDKの家を購入した。それは世田谷の奥沢にある3億円の建売り住宅だった。不経済だし維持費もかかるだろうというのが、堅実なサヤカさんの見立てだった。
新居のお披露目の時に、友人たちは揃って大豪邸を訪ねた。中庭があり、建物が260平米と聞いて全員が目を丸くした。家具は内藤さんがパリまで買いに行って集めたアンティークだったそうだ。
「私ね、今まで誰にも言ってなかったけど本当は美術品の売買に関してはプロなのよ」と内藤さんが口走るのに友人たちは絶句した。これまで彼女がそんな商売をしていたなんて話は聞いたことがない。ポカンとしている同級生をしり目にさらに喋り続けた。
「ねえねえ、誰かセザンヌの絵を買いたいっていう人知らない。実はスイスの知り合いにセザンヌの絵を売って欲しいって頼まれちゃったの。でも、内密に買って欲しいのよ。つまりね、税金の関係とかあるから、売主がセザンヌを個人で買ってくれる人をみつけたいっていう希望なの。領収書がいらない人ってことね」
そんないかがわしい話はないと思ったサヤカさんは、すぐに意見したそうだ。
「あなたね、今の時代にセザンヌの絵をポケットマネーでぽんと買える人なんてそうはいないわよ。職種によって絵画の購入は税金の控除の対象になる場合もあるし、会社で買うケースが多いと思う」
この時期は、すでに日本のバブル景気も終っていた。内藤さんが名前の通った画商とか画廊の経営者なら話の持っていきようがあるかもしれないが、なんの実績もないオバサンが、はい、これがセザンヌですと現物を見せたとしても誰が信用するだろう。
あまりに非常識な内藤さんのホラ話に、サヤカさんは不吉な予感を抱いた。実際この予感は、どんどん的中していくこととなる。
(後編に続く)
工藤美代子(くどう・みよこ)ノンフィクション作家。チェコのカレル大学を経てカナダのコロンビア・カレッジを卒業。1991年『工藤写真館の昭和』で講談社ノンフィクション賞を受賞。著書に『快楽』『われ巣鴨に出頭せず――近衛文麿と天皇』『女性皇族の結婚とは何か』など多数。
イラスト/大嶋さち子
『家庭画報』2022年6月号掲載。
この記事の情報は、掲載号の発売当時のものです。