1時間半ほどお茶を飲みながら秘書君から聞いた「ご相談」の内容にサヤカさんは驚愕した。簡単に言うと、秘書君は4年以上も内藤さんに雇われていたけれど、最後の1年間は給料が支払われなかった。
「ごめんなさいね。来月必ず纏(まと)めて払うわ」と手を合わせるふりはするが、給料日が来ても入金されたためしがなかった。だから半年で辞めたいと告げると、今商談中のシャガールの絵が、もうすぐ売れるので、来月には払えるからと自信たっぷりに言い訳する。
そんなこんなで無給の日々が1年も続いた。
しかし、それ以外にも秘書君が辞めようと決心した理由があった。こっちの方は金銭問題よりも深刻なのだとサヤカさんは憂鬱そうに首を振った。
「あの人ね、セクハラをしていたのよ」
「まさか!あの年で」
私が思わず叫んだらサヤカさんに叱られた。
「男の人だって、年寄りがセクハラしている例なんて山ほどあるじゃないの。セクハラってやる方にも、やられる方にも年齢制限はないと理解しなければ」
秘書君の告白によると、働き始めて2年後の夏に、汗をかいたまま内藤さんの家に行った。そうしたら、シャワーを浴びなさいとしつこくすすめられた。お手伝いさんはいなくて、二人きりなので「けっこうです」と固辞したら彼女は不機嫌な顔になった。
この日からだった。内藤さんは家に来た秘書君が帰る際に玄関まで送りに出ながら、彼のお尻を軽くポンポンと叩いて、それからさっと撫ぜるようになった。きちんと抗議も出来ずに我慢していると、さらにエスカレートした。外出の時は秘書君が内藤さんの所持する高級外車を運転することが多い。彼女はなぜか後部座席には座らず、助手席に座る。
そして車がカーブを曲がる度に「あら」とか小さな声で叫んで、すっと手を左側に伸ばしてわざと彼の急所を摑む。その手を強引にはね除けるまで、いつまでもそこに置いたままにしていた。耐えかねた彼は内藤さんの手が置かれるのと同時に「やめて下さい」「触らないで下さい」とはっきり口に出すようになった。
ところで、秘書君の仕事は何かというと、勤務実態のようなものは、ほとんどなかったのだ。とにかく内藤さんがパーティーに行く際とか、誰かと会食する時にスーツを着て同席する。何か用事があったらプライベート・セクレタリーに連絡して下さいと内藤さんは必ず言う。
でも、実際にはほとんど彼に掛かってくる電話はなかった。商談らしきものは皆無なのだから当然だった。つまりは見栄でイケメンの若い秘書を連れ歩いていたとしか思えない。
それでも、月給30万円という約束は約束だった。秘書君は相当怒っており、これから弁護士に相談して、給料未払いとセクハラで内藤さんを訴えるつもりだと、息巻いた。