東京・表参道の「クレヨンハウス」にて絵本を手に。寝つくまで母が読み聞かせてくれた絵本
「4人姉妹の長姉で、子どもの頃から妹たちの小さいお母さんをやらなくてはならなかった。進学もあきらめたし、母親(落合さんの祖母)の介護もありましたしね。自分はこうしなければならない、何々してはならない、という責任を背負ってきた人。だからこそ人生にはどうにもならないことがあると知りつつ、娘には、可能な限り自ら選択して生きることの尊さを伝えたかったのでしょう」
その「日々、一生懸命だった母の在り方」が、落合さんに人生というものを教えたのでしょう。さらに後年、アナウンサーとなり、作家としても活躍する今、“言葉”というものが持つ重さ、輝きを知ったもう一つの素地に、絵本とのふれあいがあったといいます。
「故郷から上京して、二人で小さなアパートに住んだのですが、昼は事務職で忙しくしていた母が、私が眠る前に、毎日絵本を読んでくれたんです。『恵子ちゃんの絵本の時間』って名付けてくれまして。大切に1冊ずつ買ってくれた。母も本が大好きな人でしたけど、子どもの頃はなかなか買ってもらえずに、あきらめていたようです」
読み聞かせをしてもらった時間は、落合さんにとって、まさに黄金のような時間だったことでしょう。
立ち直れないとさえ思った心を本が救ってくれた
「母はいつも、『どれだけ本が人の生活を豊かにしてくれるか、光で照らしてくれるか』と言っていました。私が本をかけがえがないと思うのも、あの頃の時間があってこそ。母自身にとっても、いい時間だったのではないかと思います。
介護が始まってからは、逆に私が母に読みました。子どもだった私が、してもらったことを今度は母に。うれしそうに絵を目で追っていましたね。特に『ルピナスさん』という本が好きで、何度も読んでと」
在りし日の母・春恵さんの凜としたお写真。介護中、恵子さんはよく絵本を読んで聞かせ、春恵さんは特に写真の3冊がお気に入りだった。オーガニック・コットンの人形は弾力があり、硬縮していく手の筋肉を柔らかくしてくれそうで母に握らせていた。「世界でたった一人の愛おしい人」を亡くした後、心にぽっかりと穴が開いて、「立ち直れないかもしれないとさえ思った」と言います。
けれどもそのとき支えてくれたのは幾冊かの本と、そこにちりばめられた言葉たちでした。
「なかでも一番の支えとなったのは、詩人の長田 弘さんの詩集『詩ふたつ』(2010年)でした。ある日、ふいに長田さんがいらして、『詩集を作りたい、できたら急ぎで』とおっしゃった。3年前に母を亡くしていた私には、急ぎ、という意味が痛いほどわかりました。これは、何があっても叶える! と決めて。でも、完成したときには愛妻はすでに亡くなられていて......お別れの会には間に合ったのですが」
この詩集の、特にあとがきが、落合さんの胸を揺さぶったといいます。