それにしても小説家とは因果な商売だ。彼女が作り込もうとするイメージを篠田氏は、すっかり真に受けていた節がある。いや、もしかして、そのイメージこそが生身の森さんだったのだろうか。
そういえば、カナダの港町で、森さんと一緒にあるお宅に食事に招(よ)ばれる機会があった。その家には独身の日本人の男性が住んでいた。年齢は森さんと同じくらいだった。大学で東洋史を教えていた。なかなかの美男で、長身だった。パーティーが終わりに近づいた深夜に、森さんの方を見ながら、ふいにその人が問いかけた。
「どうですか、作家ってストイックな生活をしているのですか?」
外国生活が長い彼の日本語は少し奇妙だった。しかし、森さんは、はっきりと答えた。
「もちろん、ストイックですよ。とてもストイックな生活」
「小説とは違うわけですね」
「ええ、そうじゃなければ、書けませんよ」
このあたりで、私は気がついた。ストイックというのは、つまり実際に生活の中で情事があるのか、それとも作品の中だけなのかと相手は聞きたかったのだ。きわめて真剣な表情で森さんは、あれは小説の世界だけのことだと断言した。
噓ではなかったろう。今から30年以上昔、50歳を過ぎた女性はストイックで当り前だったのだ。
しかし、時代のうねりはこの常識を覆した。70代、80代、90代に至っても、激しい恋に身を焦がす女性が珍しくない昨今だ。それを知っているからこそ、私は森さんの死を悼みたくなる。彼女に夢中だった男たちも、逆に彼女が夢中になっていた男たちも、最近になって、ほとんどが鬼籍に入った。
非常に美形の年下男性を森さんが気に入っていた時期があった。外国で彼と同じホテルに泊まった際に、森さんは夕食を共にして、確かな手応えを感じた。だが、知らん顔をして自室に戻り内線での連絡を待った。それから、ふと思った。ひょっとして、年上の自分の方から電話をしなければいけないのかと。
「でもね、まさか私からは誘えないじゃない」と旅行から帰って来た森さんは、低い声で呟いた。そんなに難しいタイミングの恋の進展を判断する能力は、もちろん私にはなかった。
ところが最近、82歳の女性が、きっぱりと朗らかに宣言するのを耳にした。
「もうこの先、何が起きるかわからないじゃない。私はチャンスを逃さないつもりよ。絶対につかまえるわ」
人間の寿命は限られている。だからこそ瑞々しい快楽に潤うのなど罪ではない。この女性たちの果敢な声明を森さんに聞かせてあげたかったなあと思う。
「あんなにがっしりと武装なんかしなくたって良かったのに」と天に向かって叫びたくなったのである。私はきっと彼女の甲冑(かっちゅう)代わりだったのだろうと、今頃になって悟ったのだった。
工藤美代子(くどう・みよこ)ノンフィクション作家。チェコのカレル大学を経てカナダのコロンビア・カレッジを卒業。1991年『工藤写真館の昭和』で講談社ノンフィクション賞を受賞。著書に『快楽』『われ巣鴨に出頭せず――近衛文麿と天皇』『女性皇族の結婚とは何か』など多数。
イラスト/大嶋さち子
『家庭画報』2022年7月号掲載。
この記事の情報は、掲載号の発売当時のものです。