頑固に几帳面に自己形成して行けば行くほど、その侵入は、突然“人生コース”を邪魔するような形で訪れる気がします。
つまり、排他的に小綺麗に整えてきた人格以外の人格も受け止めていかなければいけないということになります。
なので、不快で不都合な出来事のほとんどは、小さい自己から、大きな自己へと誘うための大切な出来事だと思ってくだい。
例えば、地震が来て物質的なことが損なわれたら、それは不幸ということになるかもしれません。しかし、元々自然の上に自分達が暮らさせていただいているだけで、自分たちのために地球があるわけじゃないと、元を辿ればどうでしょう?
考えてみればそうに違いがないのに、被害者意識にしかならないのは一方的に都合よく一部だけ強調して見る以外の見方を完全に意識から排除しているからだ、ということになります。