療養に専念するため、打ち込んでいた看護の仕事を辞めて生きがいを失い、先の見えない日々を過ごしていた射場さんに一筋の光が差し込んできます。それがディペックス・ジャパンとの出会いでした。最終回では射場さんの再生の物語と、患者の語りを医療に活用することの可能性についてもご紹介します。
第3回(前編)はこちら>>認定NPO法人 健康と病いの語り ディペックス・ジャパン 理事
射場典子(いば・のりこ)さん 54歳
1963年東京都武蔵野市生まれ。84年順天堂看護専門学校卒業。
同年、順天堂大学医学部附属順天堂医院に就職し外科病棟に配属される。
米国留学を経てターミナルケアを学ぶために聖路加看護大学大学院に進学。
大学院修了後、同大学教員として教鞭をとる中、2006年に卵巣がんを発症。
患者の語りをデータベース化し社会資源として活用するプロジェクト「ディペックス・ジャパン」の設立に治療中からかかわり、08年より現職。
経過観察を続けていた卵巣がんは発症から10年を過ぎたことで無治療に。
看護師とがん患者の経験を生かし「患者主体の医療」の実現に力を注ぐ。
射場典子さん がん治療の経過③
2006年2月 卵巣が破裂しがんが見つかる仕事中に激しい下腹痛に襲われ、救急外来を受診。直径14センチの卵巣がんが腹腔内で破裂していたことがわかる。翌日、緊急手術を受け、腫瘍とともに卵巣や子宮などを摘出する。
2006年3月〜 抗がん剤治療の副作用に悩まされるステージⅠC期と診断される。手術後に再発予防を目的に6クール(約5か月)の抗がん剤治療を実施する。吐き気、脱毛、しびれ、全身劵怠感などの副作用に悩まされる。
2006年11月 ディペックスの活動に出会う9月から看護大学の教員職に復帰するも、心身ともに仕事を続けることに限界を感じて苦しむ。こうした中、インターネットで患者の語りを公開するディペックスの活動に出会う。
2007年4月 ディペックスのメンバーになる体調管理を優先し、勤務していた看護大学を3月に退職。同じ頃、ディペックス・ジャパンの「がん患者の語り」プロジェクトがスタートし、主要メンバーの一人となる。
2007年8月 ホルモン補充療法を開始する卵巣がんの経過観察を定期的に続ける中、精神的に不安定になった要因には卵巣を摘出したことによる卵巣欠落症状があることに気づき、ホルモン補充療法を開始する。
2017年4月 発症から10年を過ぎて無治療に卵巣がんを発症してから10年が過ぎたので「寛解(ほぼ治癒)」とみなされ無治療になった。年齢とともに卵巣欠落症状も落ち着き、まもなくホルモン補充療法を卒業する。