そう、あれは3年前の冬、木枯し吹きすさぶ深夜のことだった。いつものようにドライブを楽しんでいると、歩道で大勢の人たちが何かを囲んでいるのが見えた。私は急病で倒れている人でもいるのかと思って車から降りそこに向かったところ、生後30日くらいの明らかに病気に見える汚い仔猫が、口を大きく開けて「ミイッ! ミイッ!」と必死に鳴いて助けを求めていたのだった。
幼い仔猫にできることはそれが全てだし、誰かに拾われなければやがて死ぬのだ。通行人がどんどん集まって十数人の人垣ができていたが、この哀れな小さな命に手を差し伸べる者はいなかった。そうこうするうちにこちらを振り返った誰かが私を見て言った。
「あ、この人は有名な獣医さんだ!」
その瞬間、皆は安堵の色を見せ、何事もなかったかのようにその場を去ろうとした。
私は少し腹が立った。この場合「私たちは何もできませんが、皆で少しずつお金を出し合いますから、プロの獣医師であるあなたに、この仔猫の治療と里親探しをお願いしてもいいでしょうか」と依頼するのが本筋というものだ。
もちろん私が第一発見者だったら即保護するが、今回は“面倒は獣医に押し付けて自分たちは日常に戻る”それが当たり前だと思っている連中だったのが気にくわなかった。
まあ、そんなことはどうでもいいけれど、とにかく夜の寒空に鳴き続ける仔猫の姿には胸が締め付けられることだけは確かだ。私は誰もいなくなったのを見計らって冷たく凍えたその小さな身体を服の中に入れて温めた。結膜炎の目ヤニと鼻水で仔猫の顔はぐちゃぐちゃだ。伝染性鼻気管炎にかかっている様子だった。蚤が私の腹を刺して痒い。「おまえ、ひっでえなあ……」
病院に戻り入院治療を開始した。
「ピカピカの仔猫になったら貰い手を探すけど、見つからなかったら俺が飼ってやるよ。安心しな……」
原価が5万円もする高額な薬を何本も使うことになったが、やがて仔猫の感染症は後遺症も残さずに早期回復した。そこにタイミングよく現れたのが昭和寿司の大将だったのだ。
可愛がっていた猫が行方不明になってしまったらしい。本当かどうかは定かではないが、目撃者の証言によると関西方面から遠征に来た三味線用の革業者に盗まれたという。
「小柄で白い雌猫だったから狙われたんだと思うんです。猫がいないとさみしくて……」
「それなら捜索を続けながらこの仔猫を飼いませんか。白と黒の毛皮で皮膚もまだら模様だし、雄だから大人になったら皮も厚くなるので猫ハンティングには遭いませんよ」
ちなみに三味線は超高級なものになると、糸巻と駒が象牙(象の牙)、撥(ばち)は鼈甲(べっこう=海亀の甲羅)、そして革は猫の皮膚でつくられていたりする。雌猫のケンカ傷のないお腹の薄い皮膚が好まれるので、よく見ると乳首が確認できる。父方の祖母が三味線を教える先生だったので、こういった本格的な実物を見る機会が多かったが、昔はそれが当たり前だったようだ。
というわけで、仔猫は寿司屋の大将の愛猫として迎えられ、育ちに育って今や8キロの大猫に変身しここにいるのだった。
「福助はね、センセが好きなんだよ」
「いや、私が追い払わないから来るだけでしょう」
「センセがいると、福助はおとなしいんだよね」
「単にヒマだからこうやって食べるところを見に来るんだと思いますよ」
福助は私の座るカウンターの前の寿司ネタ用ガラスケースの上で、俗に言う“香箱座り”をしていることが多い。
この姿勢はお腹を地面につけて両手両足を身体の下に折りたたんでいる、あの猫特有の座り方をいう。すぐに動けない体勢をしているということはリラックスしている証拠でもあり、どうやら嫌われていないことだけは確かなようだ。