エッセイ連載「和菓子とわたし」
「和菓子とわたし」をテーマに家庭画報ゆかりの方々による書き下ろしのエッセイ企画を連載中。今回は『家庭画報』2022年8月号に掲載された第13回、野口 健さんによるエッセイをお楽しみください。
vol.13 水羊羹の思い出
文・野口 健
僕は、甘いものは苦手だが、和菓子は好きだ。特に水羊羹が大好きである。暑い夏、ツルッとした舌ざわりで程よい甘さの水羊羹を濃いめのお茶と一緒にいただくと、ほっと癒やされる。
亡くなった母は、よく、家で和菓子を作ってくれた。なかでも、いちご大福は絶品で、今でもいちご大福を見るたびに、母が作ってくれた味を思い出す。その母が、水羊羹を作ってくれたことがあった。頂き物の羊羹が余った時のことだ。羊羹を細かく刻み、鍋に入れ沸騰したお湯で溶かし、冷蔵庫で固めるだけなのだが、実に僕好みの味であった。
ヒマラヤ遠征の際には、いろいろな行動食を持っていく。特にチョコレートやおせんべいなどのお菓子は必ず日本から持参する。数年前から、高校生の娘と一緒に登山をするようになったが、ある時、娘が一口羊羹を持ってきた。「僕は、水羊羹は好きだけど、羊羹は甘すぎて苦手なんだよなぁ」と言いつつ、一口食べてみたところ、驚いた。登山で疲れきった体に、小豆の上品な甘さがものすごくしみ、とてもエネルギーが湧くのだ。しかも食べきりサイズだから、持ち運びもしやすいし、どこでも食べやすい。それ以降、僕の登山には一口羊羹が欠かせなくなった。
長いヒマラヤ遠征中は、ベースキャンプでシェルパたちが料理を作ってくれる。長い時には2カ月近くを山の中で過ごすため、日本の味がとても恋しくなる。日本に帰ったらあれが食べたい、これを食べようと、気が付けば食べ物の話ばかりしている。ある日、持ってきた一口羊羹で水羊羹を作ってみようと思い立ち、母が作ってくれた方法をシェルパに伝え、作ってもらった。しかし、なかなかうまくいかない。それもそのはず、ベースキャンプは標高5000メートルを超えている。お湯が沸騰しないため、羊羹が溶けなかったのだ……。
コロナ禍で始めた野菜作りが面白く、今では、毎日のように畑仕事をしている。夏の畑仕事の休憩時間、今日も水羊羹は欠かせない。
野口 健アメリカ・ボストン生まれ。高校時代に登山を始める。1999年、エベレスト登頂に成功。七大陸最高峰世界最年少登頂記録を25歳で樹立する。その後、富士山・エベレストの清掃活動や、次世代の環境問題の担い手の育成に注力。また、「ヒマラヤ大震災基金」や「熊本地震テントプロジェクト」等を立ち上げ、支援活動を行っている。