カルチャー&ホビー

工藤美代子さん綴る【快楽(けらく)】第5回「グリーンの瞳のラルフ君(前編)」

2022.08.12

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私は自分の考えをラルフ君に伝えるべきかどうか、ちょっと迷った。他人様の財産問題などに口出しをするのは余計なお節介だし、マサ子さんはもう3年も前に亡くなっている。

聡明な三奈江さんが手をこまぬいて見ていたとは考えられない。

「あのね、ボクのおばあちゃんはとってもフェロモンがあった女性だったんですよ」


ラルフ君が思いがけない言葉を口にした。私はなんだか突然、バシッと弓矢で心臓を射貫かれたような感じがした。

「フェロモンがあるって、つまり女っぽい人だったってこと?」

「いや、ちょっと違います。男だってフェロモンが出ている人はいると思うし。おばあちゃんは、特に整形もしてないしエステにも行ってなかった。何もしてなかったけど、すごく若々しく見える。つまり、フェロモンの出方が半端じゃなかったんでしょう。ホームに入居したのが93歳くらいの時だったかな。もう入居者の男性の中で、おばあちゃんに夢中になる人が次々と出てきて、男同士で喧嘩したりして大変だったんですよ」

私は思わずラルフ君に尋ねてしまった。

「おばあちゃまって、そんなにすごい美人だったの?」

後から考えるとずいぶんと馬鹿な質問をしたものだ。まるで93歳の女性は美しくないと言っているみたいじゃないか。とんでもない思い込みだ。この時ラルフ君のグリーンの瞳がかすかな笑みを湛えた。

「美人かどうかっていう問題じゃなくっておばあちゃんは特別な人だったんです。あのAさんもBさんもCさんもおばあちゃんに惚れていて、順番におばあちゃんを口説いたそうです」

AもBもCも日本人なら誰もが知っている名前だった。昭和の時代に画家、建築家、彫刻家として芸術界を牽引した男たちである。超大物と言ってよいだろう。ラルフ君の口調は淡々としていて、駄法螺(だぼら)を吹いているようには聞こえない。

そういえば、1回だけ会ったことのあるマサ子さんがどんな顔をしていたのか、私はよく憶えていない。しかし猛烈なオーラが彼女の全身から感じ取れて、これは何か強い気を発する人だとすぐにわかった。

(後編に続く)

工藤美代子(くどう・みよこ)
ノンフィクション作家。チェコのカレル大学を経てカナダのコロンビア・カレッジを卒業。1991年『工藤写真館の昭和』で講談社ノンフィクション賞を受賞。著書に『快楽』『われ巣鴨に出頭せず――近衛文麿と天皇』『女性皇族の結婚とは何か』など多数。
イラスト/大嶋さち子

『家庭画報』2022年8月号掲載。
この記事の情報は、掲載号の発売当時のものです。
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