なぜ妻帯者であることが露見したかというと、趣味のサークルのメンバーの良子さんが、車椅子を押して歩く木村氏とスーパーで、ばったり出会った。こういう時、女性はすごいと思うのだが、良子さんは「あら、奥様でいらっしゃいますか?」と車椅子の女性を見ながら木村氏に問い掛けたのである。木村氏はバツの悪い顔をしながら「ええ、家内です」と答えた。
サークルでは独身で通していた木村氏も、さすがに妻の眼前では噓をつけなかったのだろう。もうその日のうちに、木村氏には妻がいるという話は仲間内に知れ渡った。もともと木村氏に憧れている女性が多かったので、がっかりするよりも、ミエさんに対して溜飲(りゅういん)を下げた人の方が多かったようだ。
「5人くらいがわざわざ私に電話して来て、『木村さんって奥さんがいたのね』って嬉しそうに何度も言うんですもの。嫌味としか思えないでしょ」
ミエさんはきっと木村氏が自分に夢中だと皆に自慢していたに違いない。初対面の私にも、彼がいかに自分に惚れているかを延々と語っていたくらいだ。
憤懣(ふんまん)やるかたないミエさんの気持ちは理解出来る。だが、これは若い娘が妻帯者に騙されるケースとは少し違うだろう。なぜなら若い娘が相手の男性と結婚して家庭を築くことを夢見ているのなら、所帯持ちなどは初めから論外。不倫だってしたくないのだから、怒るのは当然だ。
しかし、ミエさんは83歳である。そもそも結婚など視野に入れてなかったはずだ。恋人が出来た事実が嬉しくて陶酔状態になっているだけではなかったか。
「まあ、男の人にも見栄があるし、お身体が不自由な奥様がいらっしゃるくらいは大目に見てあげたらいかがですか? お互いに大人なんですから」
私がミエさんをなだめようとすると、思いも掛けないほど強い口調で抗議された。
「そりゃあね、私だってそれくらいのことはわかります。でもその後にね、もっとひどいことがあって、もうあの人の本性がわかったから、いっそ別れようかと真剣に悩んだの」
いったい何があったのかと驚いたのだが、それはきわめて微妙とも言えるトラブルだった。
(後編に続く)
工藤美代子(くどう・みよこ)ノンフィクション作家。チェコのカレル大学を経てカナダのコロンビア・カレッジを卒業。1991年『工藤写真館の昭和』で講談社ノンフィクション賞を受賞。著書に『快楽』『われ巣鴨に出頭せず――近衛文麿と天皇』『女性皇族の結婚とは何か』など多数。
イラスト/大嶋さち子
『家庭画報』2022年9月号掲載。
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