食事の間は、ずっとサークル仲間の悪口で終ったらしい。
いざ、お勘定を木村氏が払って、店を出た途端だった。ミエさんは何か寂しいなあという気持ちに襲われた。あんなに木村氏にご馳走してもらうことを夢見ていたのに、いざとなったら、この寂しさは何だろう。まるで冷たい霧に包まれたように寒々しい思いだ。
それは彼がハンバーグを注文した時から、少しだけあったのだが、帰り道を歩きながら、もっと冷たい思いが湧き上がるのを感じた。
いつもなら挨拶のように、木村氏は食事中に、ミエさんが歌手の島倉千代子にそっくりだと褒める。自分が若い頃に憧れていた「お千代さんに瓜二つの女性が恋人になってくれて嬉しいなあ」と必ず目を細めて喜ぶのだ。それを少なくとも3回は繰り返す。ミエさんだって悪い気分はしない。つい財布の紐も緩んでしまうわけである。
ところがこの日の食事は違った。思い出してみると、ただの一度も木村氏はミエさんがきれいだ、島倉千代子にそっくりで可愛いと言わなかった。
「やっぱり工藤さんが言った通りだと、はたと目が覚めた思いだったの。自分からは絶対に食事代を払おうとしない男は変だ、せめて割り勘にしたらって工藤さん言ったでしょ。そうなのよね。あの人、私のことを愛してなんかいない。お財布代わりくらいにしか見ていないんだわ。それがわかったら涙がとまらなくって。でも、久枝さんに知られると、ほら見たことかって偉そうに言われるでしょ。だから内緒にしておいてね」
「もちろんです」と答えてから、私は聞いた。「結局、はっきり別れたいとおっしゃったのですね」
すると、ミエさんは下を向いたまま、手をもそもそしている。なかなか話したくなさそうだったが、声のトーンを少し上げて喋り始めた。
「私ね、もう一度だけやり直してもいいかなって思っちゃったの。だって、先週うちに来た時にね、どうしてもキスだけじゃ嫌だよってきかないで、胸をはだけたら、もっと手を下の方にずっと伸ばそうとしたのよ」
え? え? どういうことだと私は意味がわからなくなった。ケチな男の本性を知ったから別れる決心をしたのかと思ったら、どうも違うらしい。そんなに簡単に縒(よ)りが戻るくらいなら、私に相談しないでよと言いたくなってしまう。真剣に聞いていたのが馬鹿みたいだ。