こちらの当惑にはおかまいなしに、ミエさんはコーヒーも飲まず喋り続ける。
「私が機嫌が悪いと気がついて、考えたんでしょ。やっぱり私をどうしても手放したくないのよ。それで、前よりも、もっと強く抱きしめるようになって。スカートの裾から手を入れて、あそこを触ろうとするの」
うーん、それってどういう意味なのか。若い頃なら、自分が求められていると感じて嬉しいかもしれないけれど、今の私だったら当然のように「裏読み」をするだろう。彼の目的は何か?と。なんとかこのまま、お財布を持った便利な女でいて欲しいと考えての作戦ではないかと疑う。
しかし、ミエさんは真逆の方向へと思考を走らせたようだ。
「つくづく思ったのね。あの人は私に惚れているのよ。夢中なの。だから私が欲しくなった。それで工藤さんに恥ずかしいけれど相談したいわけ」
それって、もしかして、あれかと私は思った。いや、あれしかないだろう。
「私ね、もう83歳になるからね、当り前だろうけど、あそこに自信がなくって、困っちゃってるのよ」
「はあ、まさか木村さんはミエさんとちゃんと結ばれたいと望んでいるわけではないでしょう?」
彼だって83歳である。個人差はあるだろうけど、実際にことが可能だろうか。
「ああ、あの人はね、どうしても触りたいようなの。だけど私の方がね、あそこはどうしてもダメ。え? 痛いんじゃなくって、あそこの周囲がざらざらしちゃって、サメ肌みたいな感じよ。といって皮膚科や婦人科に行くのは場所が場所だけに恥ずかしいでしょ。でも、彼は私にあんなに夢中なんだから、なんとか触らせてあげたいのね。どうしたらいいのかしら。ねえ教えてくれない? 病院? 薬? クリーム?」
まったく妙な相談事をされたものだ。いくら私が人助けをしたいと思ったって、これは難しい。考え込んでいたら、はっと思い出した。ある女性誌の編集者さんから聞いたことがあるのだ。今は“フェムテック”というのがあって、高齢女性が膣回りのケアをするのは普通だと。そのためのローションやクリームもあるそうだ。顔だって年を取ればシミやシワが出て来るから入念に手入れをする。それは下半身だって同じとのことで、ケアが必要だとか。
「わかりました。ちょっと待って下さい。知り合いに聞いてみますから」
ミエさんに答えてから、あらためて彼女の顔を見た。とてもすっきりした表情だ。木村氏との一連の出来事をすべて告白して、最後には彼との将来にまで話をつなげたのだから、きっと安心したのだろう。
自分は今、恋をしていると彼女は信じている。本人がそう信じている間は、きっと恋愛なのだ。私は、それが「夢」だと決めつけることが、この日は、とうとう最後まで出来なかった。
工藤美代子(くどう・みよこ)ノンフィクション作家。チェコのカレル大学を経てカナダのコロンビア・カレッジを卒業。1991年『工藤写真館の昭和』で講談社ノンフィクション賞を受賞。著書に『快楽』『われ巣鴨に出頭せず――近衛文麿と天皇』『女性皇族の結婚とは何か』など多数。
イラスト/大嶋さち子
『家庭画報』2022年9月号掲載。
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