追悼・柳原一成さん 秋の恵み 近茶流のご飯 第3回(全4回) 米は日本料理の象徴、日本の料理はご飯をおいしく食べるためにある、と常々おっしゃっていた近茶流江戸懐石先代宗家の柳原一成さん。今まで本誌でご披露いただいたご飯料理の数々を通して、江戸の食文化や心を大切にした柳原さんを偲び、その功績を振り返ります。
前回の記事はこちら>> 料理も畑も。丁寧に向き合う
柳原紀子さん(柳原一成さん夫人)【『家庭画報』思い出の取材】本誌に初めてご登場いただいたのは1972年5月号巻頭特集「奥さまの板前修業」。以来半世紀にわたってのおつきあいとなる。2009年1月号「柳原家の江戸おせち」では家族伝来のおせち料理を余すところなく披露。奥さまの紀子さん、ご長男の尚之さんとのショットも印象深い。撮影/久間昌史「面倒くさいなぁと思って料理を作ると、面倒くさい顔をしたお料理ができちゃう」。よく一成さんが口にしていた言葉です。
ことお料理や食材まわりに関しては、手間ひまをかけることを全く厭(いと)わない人でした。お料理を作って納得のいかないところがあると、なぜだろうかと考え、やり直す。失敗は当たり前として、前に進んでいく。そしてそこからまた学びを得る―。
子どもたちが手を離れてから本格的に始めた軽井沢の畑でも、試行錯誤を重ねるのが楽しかったようです。土を育てて、種を選んで。平日のお教室で疲れてもいたでしょうに、週末になるとご機嫌で畑に出かけていきました。いきなり蜂と蜜箱を手に入れ、お教室の屋上でみつばちを育て始めたときも、寝耳に水!と家族も生徒さんもびっくりしました(笑)。でも調べ続け学び続け、香り豊かな美しい「カズ・ハニー」ができ上がりましたから、好奇心のままの面目躍如ですね。
おせち料理も毎年の大切な節目でした。一年に一度のおせちはお料理の基礎が詰まった、いわば近茶流江戸懐石の集大成ともいえるもの。「おせち料理の重箱は、料理の技術が詰まった宝箱」ともよく申しておりました。この一年でどれだけ腕が上がったのか、食材を吟味する目が養われたかを確認する機会でもあるのです。
ご自宅でおせちを作られるかたが少数派となった昨今では、「人の一生を表しているから、三つ肴とお雑煮だけでも作ろうね」とも。手に負える範囲で丁寧に作る大切さもお伝えしたかったのではないでしょうか。
日本各地へも家族で、また夫婦でよく旅をしました。義父(敏雄さん)も一成さんも、自分で現地に足を運んで出会うことやものをとても大切にする。静岡の七尾のたくあん、輪島の骨董店に並ぶ器、利尻や日高の昆布、金沢の紅白の鏡――。興味を引くものに出会うと研究熱心に。その姿は旅先でも変わることはありませんでした。
この秋に金婚式を迎えるはずでした。プライベートだけ共に過ごされるご夫婦が多い中、私たちは公私ともにいつも一緒です。だから、一成さんと過ごした日々は100年分。かけがえのない時間の積み重ねでした。(談)
協力/近茶文庫 文庫長・柳原紀子 取材・文/露木朋子
『家庭画報』2022年10月号掲載。
この記事の情報は、掲載号の発売当時のものです。