スーパー獣医の動物エッセイ「アニマルQ」 人間界に取り込まれることで生きていく術を得た犬や猫たち。けれど、どんな動物であれ、飼い主を自ら選ぶことはできません。さまざまな事情をもった飼い主、家庭、家族の人生に翻弄され、文句をいわず寄り添う動物たちにとっての本当の幸せとは?
一覧はこちら>> 第23回 スパンクのカセットテープ
文/野村潤一郎〈野村獣医科Vセンター院長〉
深夜の中野通りの桜並木で、何をするわけでもなく佇んでいる白衣の男を目撃したとしたら、それはまぎれもなく“男の時間”を過ごしている私である。たった一人の戦いに疲れ果てて沈む時、瞳を閉じて顔を上げ、耳をすませて風の音を聞く。男はこうしながら思いを巡らせ、“許したり、納得したり、諦めたり”しながら、ズタズタに破けた心をつくろうのだ。
映画とは違い、カメラの回っていないところで誰にも理解されぬまま何かのために闘う場合、大きな孤独感につつまれるものだが、私はとうに慣れた。この辛さは誰が悪いわけでもない。牙無き人たちを救う日々に挫けそうになった己の弱さこそが憎むべき敵なのだ。
時折吹く強風は低気圧襲来の宣戦布告だが、鉄の心にはそよ風にしか感じない。木々がざわめき、残暑の炎天に焼かれた葉が愛車の屋根に落ちては滑り落ちる音が聞こえる。葉と共に落下した毛虫の感触を頭髪に感じたその時、目の前に1台のクルマが停車して中年男性が降車した。
「野村センセイ、健一です」
「あ、一瞬誰だかわからなかったよ」
「その節はお世話になりました。実はご相談があります……」
「どうしたの?」
「あの時のカセットテープが見つかりました。機械好きの先生のことだから再生するデッキを持っているかと思って」
「そんなことか。現代の機器で聞けるようにデジタルデーターにしてあげるよ。それにしても大切なものが出てきてよかったね」
私は頭の上の毛虫をつまんで、そうっと木に戻しながら答えた。数十年前の記憶がよみがえる。
彼はある家族の長男で、最初に出会った頃はまだリトルリーグに夢中の小学生だった。優しそうな両親に連れられて箱を抱えた健一君と、その妹の涼子ちゃんが病院を訪れたのは、お盆過ぎの暑い午後だった。
「センセイ、こんにちは! この仔犬は僕のスパンクです」
「わたしのスパンクだよ~」
ケンカになりそうな兄妹をお父さんがたしなめる。
「二人とも、この子は“我が家の”スパンクだよね」
「そうよ、そしてこの子はあなたたちの弟なのよ」
お母さんが続けた。
「センセイ、幼い兄妹のオモチャとしてではなく家族の一員として仔犬を迎えました。初めてなのでこれからは色々と教えてください」
父親が人の好さそうな笑顔でそう言った。「もちろんですよ」と私。
これからこの茶色い雑種の仔犬は若いファミリーの未来をよりいっそう楽しく変え、家族全員にあたたかい沢山の思い出を残すことになるのだ。そう思うと何だか嬉しくなった。