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【スーパー獣医 野村潤一郎先生の動物エッセイ】犬と家族の幸せの形

2022.09.15

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ある日、健一君が野球のユニフォーム姿のまま病院に飛び込んできた。

「スパンクが死んじゃうよ!」

しかし両手に抱えられた仔犬は、キョトンとした顔でこちらを見ている。


「家に帰ったら妹が泣いていて……」

遅れて到着した涼子ちゃんは涙と鼻水だらけの顔で必死になって伝えた。

「あのね、あのね、一緒にお昼寝していたらね、急に苦しそうに鳴いて手足がピクピクしたの……えーん……うええん!」

慌てて診てみたが仔犬には何の異常もなかった。

「もしかしてこんな感じだったかな?」

私は横になって白目をむきながら、クォンッ!クォンッ!と鳴いてみせた。

「あっそれ、それだよッ!」と涼子ちゃん。

「これはね、犬の寝言なんだよ」

「犬も夢を見るの?」と健一君。

「そうだよ。君たちと同じ」

「じゃあオネショもする?」

「しないよ。君とは違う」

「お兄ちゃん、オネショするのバレちゃったね」

涼子ちゃんが笑った。

イラスト/コバヤシヨシノリ

数か月後のことである。今度はお母さんが深刻な顔をして仔犬を連れてきた。兄妹は不安げな顔をして母親のスカートにつかまっている。

「センセイ、スパンクの歯がなくなっているんです……。硬いものを嚙んで折れたみたいです……」

仔犬の口を開けてみたが、またしても異常は見られなかった。

「何ともありませんが、乳歯が永久歯に生え変わり始めていますね。真っ白い丈夫な歯がちょこんと頭を出していますね」

「ええっ! 犬も歯が生え変わるんですか!」

「はい。前歯の真ん中の中央2本から始まります。涼子ちゃんと一緒ですね」

それを聞くと彼女は“イー”をして自分の“みそっ歯”を両手で指さしてニコニコして見せた。

愛犬家初心者に特有のこういった他愛もないドタバタを繰り返しながら仔犬はすくすくと成長し、あっという間に大きくなった。スパンクは毎日の散歩の際には必ず病院の前を通った。朝はお母さんが、夕方の明るい時間帯は兄妹が、そして夜はお父さんが担当した。

「スパンクは病院が好きで、この間の夜なんかシャッターが閉まっているのに“入るんだ”と言ってきかなかったんですよ」とお父さんが笑った。

「きっと遊び場だと思っているんですよ」私も笑った。

ある晩、お母さんが何やら大型のラジオカセットを担いで病院にやってきた。お父さんのカラオケ練習用だという。

「センセイ、スパンクがとても大きなイビキをかくのですが録音を聞いてもらえますか?」

かくしてテープを再生してみると……

「ジャジャジャーン、カモメが飛んだぁ、カモメがとんだぁ……」

「お父さん、テレビうるさいわよ」

「わんっ、わんっ、わんっ!」

「母さん、ビールもうないの?」

「わんっ!わんっ!わんっ!」

「健一、ごはん食べちゃいなさい」

「お兄ちゃん、スパンクが卵焼き盗んだ!」

「あーっ!」

ドスン! ガッチャン! チリンチリンッ!

「わんっ!わんっ!わんっ!」

「あーこりゃこりゃ」

「あなた飲み過ぎよ、もう寝なさい」

……私はたまらなくなってストップボタンを押した。

「奥さん、楽しそうな家族団欒ですね」

「すいません。この次あたりにイビキが録音されていると思います」

「ぐー、ぐー、ぐー」

「あ、コレか! 別に普通の中年の中型犬のイビキですね……」

「センセイ、お騒がせしました」

「いいえ。それよりもこの録音テープ、消さないでとっておいたほうがいいですよ。とても沢山の幸せが詰まっていますから。スパンクは“楽しいね、ずっと一緒だよ、約束だよ”と言っています」

丈夫な中型雑種犬のスパンクは大きな病気もせず、この家族の愛犬生活はその後も良好に続いた。思い出をたくさんつくりながらキラキラした時間が過ぎていった。

犬との生活はまるで流れ星を見ているようだ。ずっとこのままでいたいけれど、楽しい時間はあっという間に過ぎてしまう。
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