中野通りの桜が咲いては散り、それが10回以上繰り返された頃、学ラン姿の健一君が歩いていたので声をかけると、「あ、はい……」とつれない返事が返ってきた。思春期特有のはにかみなのかなと思った。セーラー服姿の涼子ちゃんは、同級生と連れ立って通過する際にぺこりと頭を下げていくだけだが、女の子は成長すると皆そんな感じだ。彼らは大人の階段を登り始めたのだ。いつまでも犬と遊んでばかりはいられないのだろう。青春を謳歌する年代になったのだ。
この頃は、歳とったスパンクの散歩はもっぱらお母さんの仕事だった。それも気が向いたときに時々出かける程度になった。これはよくあるパターンであり、全ての生き物が生まれて育って死んでいくように人間の家庭もまた経年変化を伴う。いつまでも変わらない家庭は国民的アニメの磯野家くらいで、現実世界ではもちろん不可能だ。
ここまではまあ仕方がないとして、しばらくして私はショッキングな光景に遭遇してしまうことになる。中野通りの蓮華寺の交差点で隣に並んだ改造バイクに乗っている暴走族の顔を覗き込んだ時に私は驚いた。それはあろうことか健一君だったのである。
違法の“絞りハンドル”に、爆音の“直管マフラー”、安全基準を満たさない"半キャップ"のヘルメットを頭に被らずに首にかけ、シンナーの入った缶を前歯で咥えて鼻から吸引し、酩酊状態のままアクセルをあおってリズムをとっていたのだ。「おい待てよ」と言うと、彼はちらりとこちらを見て、ばつの悪そうな顔のまま発進した。
当時、平和の森公園に集う不良少年たちを更生させるために色々と面倒を見ていた私は、彼らに質問した。「〇〇町の健一を知ってるかい?」
私の経験では一般的に不良と呼ばれている子供たちは間違いなく犬好きで、本当はとても素直で優しい心を持っている。ただ傷つきやすいのだ。彼らの答えはこうだった。
「あいつはかなり荒れてます。父親が連帯保証人で破産してから女と逃げたんです。母親は別の男と暮らしていて、妹は不良外国人とつるんでます」
「そうか、それはどうしようもないな……」
その頃の私は若く非力だったのだ。
「ところで、犬がいたのを知ってるかい?」
「スパンクなら、家に残った妹が一人で面倒見てると思いますよ」
「そうなんだね……」
それからまた数年経ち、この事件が私の忘却の丘を越えようとする頃に、突然女性から電話がかかってきた。涼子ちゃんだった。
「お久しぶりです……スパンクが死んじゃう……今度は寝言じゃないみたい……助けて」
「もうかなりの歳だよね。病院に来るかい?」
「はい、今から行きます」
ほどなくして病院の駐車場に1台の車が停まった。監視カメラを見ていると、乗員が4人いる。
「あ……家族全員で来たんだ!」
しかし、診察台の上に載せた高齢のスパンクの命が尽きるのは、明らかに時間の問題だった。
しばらくぶりに会ったのであろうお父さんとお母さんは目を合わせることもなく、まるで別人のような冷たい表情だったが、涼子ちゃんが堰を切ったように、
「私、あの頃が一番楽しかったよ。だからみんなを呼んだんだよ。スパンク死なないで」
と泣き叫ぶと、二人とも昔の優しい顔に戻った。お父さんが「スパンク」と呼びかけた。お母さんも「スパンク」とつぶやいた。黙っていた健一君が目を潤ませながら言った。
「スパンク、またみんなで卵焼き食べような」
スパンクは既に視力を失っていたが、耳は聞こえている様子だった。小さくふんふんと鼻で鳴いて、大きく何度も尾を振った。
「お父さん、お母さん、お兄ちゃん、お姉ちゃん、僕はずっと待ってたんだよ。またみんなで暮らせるんだね。うれしいな、うれしいな……」
スパンクはそう言っているようだった。バイタルモニターの数字が一瞬正常値に戻ったが、やがて一直線になった。処置室にアラームが鳴り、かつて家族だった4人は涙を落とした。
彼らがその後どうなったのかは詳しく聞いていない。しかしちっぽけな1匹の犬が家庭犬として楽しく暮らし、皆が離れ離れになっても信じて待ち続け、その小さな一生を終える瞬間に、再び幸せを感じながら旅立ったことだけは確かである。そして古いカセットテープに録音された思い出の中では、スパンクは今も愛する家族と一緒に生き続けている。