エッセイ連載「和菓子とわたし」
「和菓子とわたし」をテーマに家庭画報ゆかりの方々による書き下ろしのエッセイ企画を連載中。今回は『家庭画報』2022年11月号に掲載された第16回、大谷徹奘さんによるエッセイをお楽しみください。
vol.16 なごみ菓子
文・大谷徹奘
私は東京の下町(江東区猿江町)出身です。小学生の頃、実家である寺の近所には和菓子店はなく駄菓子屋が数軒。十円玉を握りしめ走って行った店で買うのは、食べた後に口が真っ赤になる麩菓子と決まっていました。この麩菓子が私にとっての最高のお菓子でした。お寺ですからお供えなどの和菓子は身近にありましたが、“あんこのお菓子”ぐらいの認識でした。
実は遠い親戚に和菓子職人がいました。中学生の頃に数度訪ねたことがあるのですが、たくさんの道具を用途によって使い分ける作業を食い入るように見ていると、『良い材料を仕入れることが大切。しかし、どんなに良いものが用意できても、それを活かしてお客さんを笑顔にすることが出来なければ、店頭に並べてはいけないんだよ』という職人が内に秘める魂ともいうべき言葉を聞きました。
私の師匠は故・高田好胤薬師寺管長です。お写経勧進による薬師寺白鳳伽藍復興に身命を賭して、全国を法話行脚されていました。そのお姿と法話の素晴らしさに憧れて、高校二年生で弟子にしていただきました。
師匠の息抜きの一つに、身近に仕える者と共に喫するお抹茶の時間がありました。日に幾度か『お抹茶入れて』と声がかかり、それを準備するのが私の役目でした。
師匠のお抹茶好きは広く知られており、ご縁の方が心づくしの和菓子をお持ちになられます。水屋で包装紙のひもを解き、初対面の和菓子の造形を見ながら、職人さんはどんな思いをここに込めているのだろうかと、推測するのが楽しみでした。そして、和菓子を契機に盛り上がる喫茶の時間こそ“一味和合”そのものでした。
今、真剣に考えているのは、「和菓子」と書いて「なごみ菓子」と読むこと。それによって「和=日本」のお菓子という限られた世界から、無限の広がりのある精神世界へと昇華し、より一層人々を笑顔にさせてくれると想うからです。
その根底に中学生時代に見聞した和菓子職人の魂の言葉があるということは、言うまでもありません。
合掌大谷徹奘(おおたにてつじょう)薬師寺執事長。1963年、東京都江東区にある浄土宗重願寺住職の大谷旭雄の二男として生まれる。芝学園高等学校在学中の17歳のとき、故・高田好胤薬師寺管長に師事、法相寺薬師寺の僧侶となる。龍谷大学文学部仏教学科卒業、同大学院修士課程修了。1999年春から「心を耕そう」をスローガンに全国各地で法話行脚中。薬師寺執事、副執事長を経て、2019年に薬師寺執事長就任。
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