Vol.3 2児を抱えて東奔西走!骨董ライセンスで脚光を浴びる
カルチャー発信地の原宿に、もうひとつの顔を見いだす
アートが身近にある暮らし。若き日のデカマリ(渡邊万里子)。「サクッと香ばしいトーストとゆで卵、そして珈琲。結婚してしばらく、これが私たちの朝のお気に入りでした。『レオン』のモーニングメニューです。結婚して原宿のマンションに居を構えた私たちは、マンションから仕事へ出かける道すがら、朝の珈琲は『レオン』と決めていました。『レオン』に行けば、必ず誰かしら“知ってる顔”が座っている。なぜなら『レオン』が入っていた原宿セントラルアパートには、ファッションデザイナーやカメラマン、あるいはデザイン事務所など、気鋭のクリエイターたちがたくさんオフィスを構えていたからです。朝からとても賑わっていました」
ロゴもお洒落な喫茶店「レオン」。かつて「原宿セントラルアパート」の1階にあった喫茶店「レオン」は、“伝説の喫茶店”と称され、各界の著名人たちの若き日々を見守った存在だ。明治通りと表参道がクロスする神宮前交差点、現在の「東急プラザ表参道原宿」の位置に建っていた「原宿セントラルアパート」では、小澤征爾や中村紘子といった世界的に活躍する音楽家、著名な写真家やモデルの山口小夜子の姿もよく見かけられた。業界人の打ち合わせにも愛用された1階の小さなガラス張りの喫茶店を、けやきの並木から羨望のまなざしで見上げる歩行者も少なくなかった。
写真は関東大震災からの復興を目的とした事業の一環として建設された同潤会アパート。現在は表参道ヒルズの一部として商業施設となっているが、けやきの並木だけは今も変わらない。表参道のけやき並木は、昔も今も美しいが、そもそもは明治神宮の“参道”である。1964年の東京オリンピックを機に一気に開発が進んで大きな建物が増え、国際的な雰囲気が増した。新しい風を満喫しながらも万里子は、年末に参道の路肩に出店や骨董市が立つような、表参道の“昔ながらの一面”も実は好きだった。そのブースに何か出店してみたくて、骨董のライセンスまで取得したほどだ。
お産と赤十字とアンティーク!?
リカルド(渡邊 勇)が日本赤十字の献血キャンペーンの撮影などに携わっていたこともあり、万里子は2度とも広尾の日赤産院(現・日本赤十字社医療センター)で出産した。皇族の方々にもご縁の深かった産院で、1970年代後半当時はまだ珍しかった無痛分娩でのお産だった。
そんなゆかりの日本赤十字社から、明治時代より続く本社を建て替えるために不要物を廃棄する……という話がリカルドにもたらされる。アンティークが大好きだった万里子は、育児の忙しい頃であったにもかかわらず、その“お見分け”の立会いに乗り出していく。
「ライセンスを取得しておいて本当によかったの。ソファなどの大きな家具、戦時中の軍用のアイテムや、海外からの稀少な陶器の類まで、トラックに積み込めるかぎりの量をセレクトしました。骨董で需要の多いものといえば、まずは食器や壷などの陶磁器ですが、軍人さんのサメ革のブーツ、ベルトやバッグなども若い女性によく売れたんです。モードな服に合わせるとお洒落なスパイスになる!と好評でした」
戦火をくぐり抜け、眠ったままだったアイテムを「焼けあと派アンティーク」と銘打って販売。若い世代の「ナウな感性」に響いて、売れゆきも上々!古きよきものに“新しい価値”を見いだして、センスよく提案していく――、万里子の真骨頂とも言えるのだろう。SDGsという言葉は当時まだなかったけれど、“廃棄物でも魅力的に再生できる”という意識を大切にした。古い日用品に色を塗ったり、キチ坊に絵を描き加えてもらったりと、楽しみながら。
アンティークを売ることは、想像以上に重労働でもある。たとえば膨大な量のアイテムをどこにストックしておくか。八王子「夕やけ小やけふれあいの里」に空いている馬小屋を紹介してもらい、遠路はるばる自ら重い荷積みと運転をこなした。卸し先の「イエローツリーマチコ」が一軒家のショップとして開店するときには、古い家具を譲って改装も手伝った。
老若男女の心に何かしらフィットする絶妙なラインナップのワゴン。通りすがりの人も思わず足を止め、夢中に。渋谷西武のA館とB館の間でのひとコマ。中野に小さな店舗を得た時期もあるし、渋谷西武のA館とB館の間の壁沿いにマーケットを開いたりも。西武でのマーケットには、小さかった娘を連れて行かざるを得ない多忙な状況だったが、かえってそれが「NEWファミリー」という新時代のスタイルとして注目され、取材を受けることにも繋がった。
パリ・サンジェルマンからドイツまで 買い付けの旅もドライブで
赤十字社の膨大なアンティークを手始めに、銭湯が改装すると聞けば桶や椅子などの放出品を譲り受けたりして、国内での古物を再生して販売することで利益をあげることにひとまず成功。それを元手に、万里子は海外にもアンティークの買い付けへ繰り出していく。パリのサンジェルマンにホテルマンションを借り、お洒落な古着をセレクト。楽しそうだから、とついて来た友人のラッコ、パリに留学中だった版画家ウオ(魚住五百誉)らを車に乗せて自ら運転。念願のアウトバーン(高速道路)を走らせて、ヒッピーが集まる家々があったスイスのレマン湖やドイツにまで足を伸ばした。アンティークのレース、小粋なワンピースやブラウスなど200着ほどの古着を入手して帰国した。
日本から持参した風呂敷バッグへ大量に買い付けた古着を詰め込んで。移動は現地でレンタルしたルノーカトル(写真右)。友人サブの奥さんに紹介してもらった古着のシンジケートなども巡った。デザインを学んだ万里子が買い付けてくる服は、センスがよいと大評判だった。古着は、買い付けたあとにも手のかかることがいっぱいだ。帰国するやいなや“古着を洗っては乾かし、また洗っては乾かす”の作業に追われていた。多量の“干しもの”と格闘しているときに、ピンポンとチャイムが鳴った。ドアを開けてみると、ダイアナ・ロスに似た大きな瞳の小柄な女の子が立っていた。聞けば某アパレルでデザイナー職に就いているという。「化繊のドレスではなく、コットンでパーティドレスを作りたいんです。独立するつもりです。それならデカマリさんに会うべきだ、と紹介されて来ました」
ヤッコこと早田泰子。「ヤッコマリカルド」の3人目の主要メンバーの登場である。
牌は揃った。ブランド発足に向けて、いよいよ事態は急展開していく。