毎日を心豊かに生きるヒント「私の小さな幸せ」 養母フローラ・ジャスミンさんとの出会いで、サヘル・ローズさんの人生は動き出しました。養母の実家からの養子縁組への反対。来日後、愛された経験がないがゆえに深まる養母との心の溝や中学でのいじめ。追い詰められて気づいた養母の深い愛に、生きる意味を見出したサヘルさんの幸せ論を伺いました。
一覧はこちら>> 第19回 サヘル・ローズ (俳優・タレント)
「サヘル・ローズ=砂浜に咲く薔薇」を意味する美しい名前。4歳までの記憶がないサヘルさんのために、名前や誕生日は養母のフローラさんが作ったもの。サヘル・ローズ(さへる・ろーず)1985年イラン生まれ。俳優、タレント。フローラ・ジャスミンさんと養子縁組後、8歳でともに来日。主演映画『冷たい床』でイタリア・ミラノ国際映画祭最優秀主演女優賞受賞。公私に渡る支援活動が評価されて、2020年にはアメリカで「人権活動家賞」を受賞している。「4歳で両親と生き別れたあと、7歳で養母と出会えた奇跡。養母が笑顔でいてくれて、私の存在が誰かの役に立てることが私の幸せです」
イラン・イラク戦争のさなか、私は4歳で孤児となり、孤児院で幼少期を過ごしました。救護隊ボランティアとして孤児院を訪れたテヘラン大学大学院生のフローラ・ジャスミンと出会ったのは私が7歳の頃。初めて彼女を見た瞬間、口から出たのは「お母さん」という無意識の呼びかけでした。フローラが私と生きる覚悟を決めたのは、その第一声が理由だったそうです。膝の上に乗せて抱きしめてくれた母。大人の女性に抱きしめられた記憶がなかった私は嬉しくて泣きました。
ウクライナの人々を救うチャリティーでお母さまと。「実家に養子縁組を反対され経済援助も望めないのに、なぜ養女に?と聞いたら、親代わりで母を育てた祖母(私の曽祖母)は養護施設の子どもたちのケアに熱心だったと。その祖母から『将来、孤児を1人育ててほしい』と言われていたそうです」そこからも激動の日々でした。未知の国である日本で2人きり、住居を転々と変わる貧しい暮らし。12歳で母から聞いた真実告知。イランの養子縁組では、子が大人とみなされる年齢になった時点で、真実と実の親を探す権利があることを告げられます。
でも養子縁組したことも含め、辛い経験に蓋をして記憶から消していた私は受け止めることができず、真実告知を境に母に心を閉ざすようになったのでした。
母が大学生の頃に使っていた腕時計。転機となる出来事が起きたのは、外見の違いや貧しい暮らしなどからいじめを受けていた中学3年のとき。ついに耐えきれなくなったある日、「死にたい」と告げたのです。すると母は私を止めることもせず「一緒に逝く」と。
「この人の愛は本物だ」──固まっていた私の心を母の愛が満たし、彩りを与えてくれた瞬間でした。
孤児たちに寄り添う活動が使命でもあり救いにもなる
母の愛に生きる意味を見出した私はそれ以降、母の背中を見て学んできました。人に対して感謝の気持ちを忘れない、本音で対話する、その人の選択を強制せず応援する──母が私に接してくれるように。毎日の中で小さな喜びを見つけて、幸せ貯金をしておくことも大切です。そして、舞台や映画でのお芝居の瞬間は私にとって生きている証。何よりのメンタルケアです。
母と2人で作ったバラ園。生い立ちを話したり、難民キャンプを回る個人援助はその都度、心のかさぶたを剝がすので痛みを伴うのは否めません。すべての人を救えない現実の辛さに、病気にもなりました。それでも苦しむ誰かに少しでも寄り添うことができるのならば、辛さだけでなく幸せも併せ持った使命なのだと思います。
運営をサポートしているヨルダンの難民キャンプにある学校から届いた子どもたちの手紙。「私も戦火の中を生き延びてきたし、今のあなたの周りの世界がすべてではない。未来には出会うべき人が溢れているよ」。
日本で世界のどこかで、切実に居場所を探している子どもたちにこの想いが伝わってくれたら幸せです。
サヘルさんの書。名前はペルシャ語で。 撮影/鍋島徳恭 ヘア&メイク/深山健太郎 取材・文/小松庸子
『家庭画報』2022年11月号掲載。
この記事の情報は、掲載号の発売当時のものです。