そしてつい最近、私は突然のようにドクター・ウイリアムスがしみじみと語ってくれた話を思い出した。取材が終わり、もう帰ろうと立ち上がって挨拶をしていた時だった。
「私ね、5年前にジョージと知り合って、とても仲良くなったの。ジョージとは気が合ったのね。楽しかったわ。彼はこの村に住んでいて、私より2歳年下だった」
なぜ、彼女が友人のジョージについて語り始めたのか、わからないまま私はもう一度、椅子に座り直した。
「ジョージがね、つい5か月前に亡くなってしまったの。もちろん、この年になっていたら、お互いに何が起きるかわからないけれど、でもねえ」と深いため息をついた。
私は彼女の年齢を考えて、ジョージという男性はちょうどマージョリーのように、とても親しい友人だったのだろうと思った。マージョリーが亡くなった時に気落ちしたのと同じように寂しくなったと言いたいのだろう。
「とてもよくわかります。親しい友人を失うのは誰にとっても悲しいことです」と当り前の返事をした。
すると、ドクター・ウイリアムスはじっと私の顔を見て、少し逡巡するような表情を見せた。長い会話の中では見せなかった弱々しい眼の光だった。
「あなた、わかる? 私の年齢になるとね、もう新しいパートナーをみつけるのは難しいのよ。ジョージとはすべてが上手くいったの。なにもかもね。だから辛い。とっても耐え難いのよ」
私はパートナーという言葉には、肉体的な関係のある恋人という意味が込められているのかと初めて気がついた。しかし、驚愕の方が大きくて、何と慰めて良いのか言葉が浮かばなかった。
あたふたと彼女の家を去った私は、まことに勘の悪い中年女だった。しかも、ごく最近になって、このドクター・ウイリアムスの打ち明け話を思い出して、はっとした。なぜ、彼女は見ず知らずの日本人の私に、あんなプライベートなことを打ち明けたのか。よほど心が弱っていたのだろう。しかし、あの話をした時以外の彼女は、実にディグニティー(威厳)に溢れる老婦人だった。
では、何故と考えていて思い当たった。私はマージョリーが75歳で、今さら81歳の別れた夫との恋が再燃するなんて、これっぽっちも想像しないで話を聞いていた。78歳のドクター・ウイリアムスはそれを感じ取った。そしてどんなに高齢でも恋は恋だと自分の今の心境を述べることで暗に語りたかったのではないだろうか。他にマージョリーの取材で訪れた初対面の私に、ジョージとの恋愛を話す必要はなかっただろう。
人間は、その年齢にならなければわからない事実というものがある。老人だからといってけしてゴーストではないと、マージョリーとドクター・ウイリアムスは私に教えてくれたのだった。
工藤美代子(くどう・みよこ)ノンフィクション作家。チェコのカレル大学を経てカナダのコロンビア・カレッジを卒業。1991年『工藤写真館の昭和』で講談社ノンフィクション賞を受賞。著書に『快楽』『われ巣鴨に出頭せず――近衛文麿と天皇』『女性皇族の結婚とは何か』など多数。
イラスト/大嶋さち子
『家庭画報』2022年11月号掲載。
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