Vol.6 毎日がまるで店頭コーディネート講座!? ラフォーレ原宿で異彩を放つ
「ずっと様子を見ていても、接客対応をしていない。彼女は決してお客様に向かって『買って』とも『これがお買い得です』とも言わないのよ」
彼女とは、ラフォーレ原宿店でかつて伝説の店長と呼ばれていた、ホスピタリティ気質あふれる“宮本さん”(宮本幸枝)”のことだ。
「お客様たちがなんだか楽しそうにお喋りに花を咲かせているの。それはもう本当に心からの笑顔で。お客様が心地よく話を弾ませられるように、和やかな雰囲気をキープしているのでしょう。でも不思議なことに、お喋りすること数時間後、お帰りの際にはどなたも大きなショッピングバックをいくつもパンパンに膨らませるほど服を買い上げて、幸せそうに家路につかれるのでした」
ラフォーレ原宿の2階に店舗が移動してからは、さらにゆったり落ち着ける雰囲気に。ここで活躍したのが伝説の店長、宮本さんだった。万里子はどうやって、この魅力的な人材を発掘したのか――、ご縁の始まりはちょっとユニークなものだった。
人は宝物。出会った人すべてを大切にしたい
「宮本さんはね、もとは取引先のスタッフだったの。彼女はヤッコマリカルドの商品が好きで販売している人でした。“感じのよさ”も印象的でしたが、会社に面接に来た彼女の知的センスにピンときて。話してみると私と趣味趣向が同じ。宮本さんは古美術への造詣も深く、美しいものに目がない女性でした。食べることに関してもきちんと味を知っていて、物の見分けがつく。幸せに生きてきたのだろうな、と周りに感じさせる人。美人であるだけでなく、独特の個性をもっていて、話す内容が濃密でした」
会社の“勝負の時”に、素早く万里子は宮本さんに白羽の矢を立てた。ラフォーレ原宿店の店長として彼女を抜擢したのだ。
「彼女はなにわのお商売環境で育ち、さまざまなVIPの集う千代田区の某・高級中華レストランのお家に嫁いだマダムだったのです。そこを離れてファッションのお仕事をちょっとやるようになった、そういう経歴の人でした」
本人は、美しく華のある人なのだが、すっと引いて相手を立てる。聞き上手という言葉があるけれど、“話させ上手”というほうがピッタリかもしれない。なんとなく寛いで気づくと自分のことを語らされてしまっている、でも楽しい。そんな魅惑的な人たらし。――店長にはもってこいではないか!
ラフォーレ原宿に、ヤッコマリカルドがお店を出したのは1981年のこと。若い人の多いファッションビルの中で、ヤッコマリカルドに足しげく通ってくださる方々は、余裕のある「自立した人」で、原宿の若者文化の発信に興味を抱いて、こっそりのぞきにきた・・・というのがきっかけだった人たちだ。
「午前中にいらっしゃって、ゆったりと宮本さんとお喋りして夕方お帰りになる、なんて方が本当に多かったの。ラフォーレの店舗では飲食こそできないルールだったけれど、すっかり“宮本サロン”という雰囲気が出来ていた。後に神宮前に本店を構えてからは、持参した上等の菓子に素敵なお点前でお茶をお出ししちゃったり、サロンっぽさを増しますが、ルーツはラフォーレ時代にあるでしょうね。お喋りをしているうちに、パッとお客様の目にとまるアイテムがあったとするでしょ、会話はこんな感じでした」と万里子は振り返る。
――ねぇ、あの長いシャツ、素敵な色ね。ゆったりシルエットで着やすそうだけど、旦那に“なんだ、そのぶかっとした部屋着みたいなの”とも言われそう。
――あら、着方で変わるんですよ。女友達とお会いになるときは、トレンドのラフなシルエットで着て、旦那さんとご一緒のときはオフィシャルに、ベルトでブラウジングしてキュッとこのあたりをシャープにたたみ込めば、ボディラインにフィットしたフェミニンな装いにもなるんです。ほらね!
左:太いベルトでブラウジングして着こなしたシャツ(品番9094)。1980年にモデルを使って撮影された写真だが、“イイ女”の存在感は現代にも通ずる。右:ユニセックス仕様の片側ポケットのシャツ(品番8097)も同じくよく売れたアイテム。両側ポケットなどの進化形も後に登場する。「そんなふうに彼女はアイテムを自ら着てみせて、その場で着こなしのワザを伝授してしまうのね。すると、合わせたボトムスも小物も、お客様は全部欲しくなってしまう。買ってとは言われていないのに、夕方帰るときには皆、両手いっぱいに袋をさげているという調子でしたね」
異例のスピードで売り上げ1000万円を達成! ラフォーレ原宿からも表彰される
しばらくして半地下の3坪の店舗から2階へ移動となり、万里子は“宮本サロン”的なくつろげるスペースを特化させた店づくりを行った。その読みは大成功。「売り上げが1000万円を達成!」と驚いたラフォーレ原宿側からヤッコマリカルドの店長に表彰状が渡されたほど。他の店を抜いてトップになったのだ。
売り上げナンバーワンの店を目指そう!などど、万里子はスタッフに言っていたわけではない。心から着たいと思う服を。そして、着心地よくて着ていてうれしくなる服を作ろうという思いを常に伝えていた。楽しい時間を共有できる服がいい。そんな思いで店舗デザインも「寛げるスペース」を大切に、「外からは見えないコーナー」を意識して設計した。物づくりも店舗デザインも“楽しむこと”を優先させていたのである。
ブランドを立ち上げる前から、結婚・出産・育児と同時進行で多角的に仕事をこなしていた万里子。“ファッションをアートする!”の心意気で服作りをするにあたり、“快適で動きやすい服”かつ“大人服”で構成したいなぁ、という思いを強く抱いていた。
忙しく活躍する女性の感性に響くように、何が求められているのか情報を収集し、生地を開拓する人(デカマリ)、パターンを引く人(ヤッコ)、店頭で売る人(宮本)という3人の連携を大切に、心を一つにした結果が実を結んだといえるだろう。
原型のシャツは、今も時代を超えて
「ラフォーレ原宿店のオープンの頃に、とにかく人気で売れに売れたのは、品番9094のプルオーバー式でオフボディシルエットのシャツ、それと同タイプの品番9099の前開きのシャツ、そして、胸ポケットがポイントの品番9087のシャツでした。それは、色のバリエーションを増やしたり少しずつアレンジを変えた品番を増やしたりしながら、今も継続してヤッコマリカルドのラインナップに息づいている“原型のシャツ”といえる存在です」
シンプルにジーンズとコーディネートした白シャツ(品番9087)。襟を立てたり、袖をたくし上げたり、格好良く着崩しやすいシルエットで、着る人を洗練させて見せた。「実を言うと、ヤッコマリカルドの“物づくり”の大きな特徴の一つに、“後染め”スタイルで生産している、ということがあるんですね。先に白い生地で縫い上げて、後からそれぞれの色に染めるのです」
染めの工程で布は少なからず縮むもの。他社の多くはリスクを避けるため、染め上がった布地で製作する”先染め”方式を用いている。万里子がこだわる“後染め”は、魅力的な風合いが出るものの、難しさや負荷のかかるスタイルだ。
「確かに素材や染料、布の裁ち方やディテールによっても、布地がどう縮むかは全く違ってきます。ですからデザインに合わせてそれぞれに非常に緻密な計算と経験が必要で、実際私たちは気の遠くなるほどの研究と実験を重ねました。でも、後染めには替えがたい大きな利点があるのです」
それは、色合いや風合いといった“仕上がり”の魅力とはまた別の「経営者目線」の利点だという。いったいどんなシークレットがあるというのか? 気になる続きは、また次回で。