文化文政時代、天下泰平の世は裕福であり、綱紀も緩み、町人階級の文化が栄えた時代でもあった。喜多川歌麿や与謝蕪村が出るなど江戸の芸術も爛熟し、盆栽をはじめとする園芸も盛んに行われた。時の征夷大将軍の徳川家斉は大の趣味人であり、葉変わりの風蘭の収集に夢中だったという。将軍が風蘭好きならば諸国の大名や旗本にもその影響が出るというもので、やがて上級武士の間で大流行が巻き起こった。
ある日のことである、猟師が山で珍しい風蘭を採ったことを三一侍(さんぴんざむらい)に伝えた。
「お侍様あ、いかがなさいますかあ」
こういった貧乏侍は帯刀しているものの身分は町人と同等であり、深山に入って獣を狩る人間が珍品を売るのにちょうどよい窓口だった。
「どうれ、見せてみよ。うむ、これは上物である喃」
それは深山の蘭姫だった。
「ひかえおろう下郎、妾が身を任せるのは雀丸殿だけじゃ。舌を嚙むぞ」
姫が上品な覆輪(ふくりん)の葉を震わせていくら叫んでも、人間の侍には無駄である。やがて蘭は御家人の手に渡る。しかし彼らは1万石未満の階級であり、馬に乗ることも許されずまして将軍様に謁見することなどかなわない。蘭は旗本に届けられることになった。旗本は思った。
「これを上に届ければ出世のチャンスじゃ喃」
実際に上級武士は配下の侍に蘭を献上させて金子(きんす)を下賜(かし)していた。
かくして大名に届けられた蘭姫は皆を唸らせる程の美貌だった。派手な極黄大覆輪を彩る肉厚の葉は優雅に弧を描いた“姫葉”となり、“軸”すなわち茎を隠す折り重なった葉の根元は青く、根先は紅玉のように赤かった。ちなみに紅玉とはルビーのことである。フウランの根の先は血筋によっては透き通った緑または赤に彩られるのだ。
「この木の芸は実に見事じゃ喃」
ちなみに愛好家はフウランを“木”と呼ぶ、また“芸”とはその個体の特徴のことである。大名は言った。
「これ爺、早馬を飛ばしてマイフレンドを集めよ。お披露目会を開催するのじゃ」
深山の蘭姫は棒を芯にして固めて作られた中空の水苔(みずごけ)の上に乗せられ、露出した根を隠すように上から長めの化粧水苔を薄く施された。これは過湿を嫌うフウランの根が腐らないようにするための特有の仕立て方法である。
一式を納めているのは底穴が大きく開けられて通気の良い京楽焼の錦鉢だ。その胴は優雅に丸く艶やかな絵巻が描かれている。さらにその上から鳥獣や人の手から保護するための金の針金で編まれた籠をかぶせられる。頂には両端に房のある高級な組み紐を結んだ装飾まである。蘭姫は言った。
「ああ良い風が通って気分が良い。妾は満足じゃ」
大名の屋敷に身分の高い侍たちが続々とやってきた。これより正装にて着座し神妙な面持ちで鑑賞会を嗜むのだ。侍たちは順番が来るとおもむろに懐紙を取り出して口に当て、木に息がかからないようにした。これは刀剣を拝観する時と同じ作法である。皆が次々と賛辞を呈した。
「素晴らしき木にござるな」
「天から賜りし天賜宝(てんしほう)でござるな」
「でもよく見ると、ヒラタカタカイガラムシが付いてござるな」
「しっ、それは見なかったことにするのでござる」
「あいわかったでござる……」
大名が言った。
「儂(わし)はこれに月夜咲姫と名付けようと思う」
「さっきから葉っぱに姫姫と連呼して、このエッセイの作者も含めてヘンタイっぽくござるな」
「しっ、聞こえるでござる、ヤバいってば」
「重ね重ねの御忠告かたじけない……」
どうやら蘭に興味のない者もいるようだ。大名が続けた。
「ここにお集まり頂いた仲良しの諸兄に提案がござる。以降カッコいい風蘭を“富貴蘭(ふうきらん)”と区別すれば素敵だと思うのだが如何に」
「おお、それはグッドアイディアでございまするな」