家康が終の棲家とした居城
新発見が続く「駿府城」
大御所として駿府に移った頃の家康の姿を表した銅像。家康は晩年の65歳から亡くなる75歳までの約10年間を駿府で過ごした。銅像の後ろには天守台跡の発掘現場がある。静岡市歴史博物館からほど近くの「駿府城公園」は、堀と石垣に囲まれ、当時の面影を残す広々とした公園です。
武田氏を滅ぼした家康が三河・遠江・駿河・甲斐・信濃の5か国を治める拠点として築城した駿府城。天下統一を果たし江戸幕府を開いた後、将軍の職を子の秀忠に譲った晩年の家康は、江戸からふたたび駿府に移り住み、「大御所」として政治の実権を握り続けました。このとき駿府城は大修築を経て、石垣を巡らせた3重の堀と天守を持つ勇壮な城となります。
二ノ丸堀を周遊する「葵舟」。現在残るのは二ノ丸堀(中堀)より内側で、宝暦年間(1751~64年)の修復記録に基づいて、東御門や巽櫓(たつみやぐら)などが復元されています。
遊覧船「葵舟(あおいぶね)」では、30分ほどをかけて二ノ丸堀を1周することができます。船頭による城や歴史の解説を聞きながら、間近に見る巨大な石垣は圧巻。地震による崩落などにより、時代によって石垣の積み方が異なることや、石に印が刻まれていることなど、舟からでないと気づけない秘密が満載です。
また、公園の一区画では天守台の発掘調査が実施され、天正期(5か国統治時代)と慶長期(大修築後の大御所時代)のそれぞれの石垣跡を見比べることができます。
調査では、それまで謎に包まれていた天正期の天守台が、当時政権を握っていた豊臣秀吉の大坂城に匹敵する規模であったことが判明。豊臣政権のもとで、家康が単なる一家臣以上の大きな役割を担っていたことを示す手がかりとなりました。発掘が進む中で、まだ見ぬ家康像や駿府城の姿が明らかになることが期待されています。
最後の将軍・慶喜の屋敷跡に佇む
「浮月楼」で地元食材を味わう
散策の休憩で立ち寄りたいのは、徳川幕府最後の将軍・慶喜の屋敷跡に佇む料亭「浮月楼」です。
幕末の激動を経て、慶喜は大政奉還後の約20年をこの場所で暮らしました。政治を一切遠ざけ、狩猟や油絵、写真といった趣味に没頭。当時の日本には数台しかなかった自転車に乗って出かけていたことは有名なエピソードです。静岡の市民たちからも「慶喜さん(けいきさん)」と呼ばれ親しまれていました。
現在も残る池と庭園は名作庭師・小川治兵衛に造らせたもので、暖かい季節には池に船を浮かべ、ゆっくりと過ぎていく時間を楽しんだといわれています。
写真は会食メニューの一例。コース1万6500円ほか。慶喜が住まいを移した後、料亭「浮月楼」は1891年に創業しました。美しい庭と料理は伊藤博文や井上 馨、西園寺公望などにも愛され、静岡を代表する迎賓館として多くの賓客を迎えることになります。
自慢の懐石料理は、地元で育った野菜・果物・畜産物と海の幸を使い、季節の移ろいを感じさせるしつらえに。食通だったと伝わる慶喜が好んだ食材も味わうことができます。庭園を眺めながら料理をいただけば、慶喜が暮らした当時に思いが巡ります。
ロマンあふれる史跡から注目の新スポットまで、知られざる名所が数多く存在する静岡市。新たな旅の目的地として、選択肢に加えてみてはいかがでしょうか。
表示価格はすべて税込みです。