潤う成熟世代 快楽(けらく)─最終章─ 作家・工藤美代子さんの人気シリーズ「快楽」の最終章。年齢を理由に恋愛を諦める時代は終わりつつある今、自由を求めて歩み始めた女性たちを独自の視点を通して取材。その新たな生き方を連載を通じて探ります。
前回の記事はこちら>> 第9回 “老け顔”という煩悩にはまって(前編)
文/工藤美代子
これは多分、普通の人には起きないことだろう。それがわが身に起きた。しかも3回連続して。
といっても、けっして大きな致命的な問題ではない。もはや人生が終わったと嘆くほどの悲劇ではない。いわば、きわめてちっぽけで笑っちゃうような不幸である。それでも、今回はけっこうなインパクトがあった。
まずは3月のこと。久しぶりに両国にある母の実家を訪ねた。祖父が国技館の横に工藤写真館を開業したのは昭和4年だった。この年に生まれた明叔父さんが、後に写真館を継いだ。その叔父さんも6年前に亡くなって、今は従弟夫婦の代になっている。
明叔父さんの奥さんは87歳だがいたって元気。私が玄関を入ると、すでに神田川の鰻重を出前で取って、待っていてくれた。すっかり嬉しくなった私は、毎年夏になると親戚の子供たちと一緒に、写真館の屋根の上から花火見物をしたのを思い出し、古き良き昭和モードの思い出話で盛り上がった。
帰りは京葉道路に出てタクシーを拾って帰ると言ったら、叔母さんが「それじゃあ、美代子ちゃん、そこまで送って行くわ」と気軽に立ち上がって一緒に来てくれた。72歳の私を「美代子ちゃん」なんて呼んでくれるのは、もう叔母さんくらいのものだ。
「あなた、加藤さんを大事にしなきゃだめよ。大事にしてあげてね」とタクシーに乗り込もうとする私の手を握って、叔母さんが何度も繰り返した。加藤さんとは、私の夫の名前だ。
「大丈夫よ。ちゃんとまだ生きているから」と笑いながら答えて、私はタクシーに乗り込んだ。動き始めてから振り返ると、叔母さんがずっと心配そうにこちらに向かって手を振っている。その姿がだんだん小さくなってゆく。
「お客さん、あの人お名残惜しそうになさっていましたね」
中年の男の運転手さんが話し掛けてきた。
「ええ、ずっと会っていなかったから」
私はちょっとしみじみと答える。
「ああ、やっぱりねえ。お客さん、あの方は同級生なんですか? 昔の仲良しのお友達ですか?」
え、え、と私は思わず耳を疑った。同級生ってどう意味か? お料理学校とか着付け教室の同級生? まさかねえと考え込んでいたら次の矢が飛んできた。
「高校時代の同級生とかですかね」
ここでなんと答えたらいいのだろう。わからなくて曖昧にただ笑ってみせた。