集団圧力に“個人の意思が尊重されないことに疑問を持つ”ケースもあれば、集団の中にいながら“一人だけ違うことに興味を持つ”ケースもある気がします。
個人性が芽生えるということは、集団性や共存性を大切にする部分から見ると、危機的な状況だといえます。しかし、共同体的な平和に飽きて、無意識に自分がそういう要素(危機的な状況)を引き寄せてしまう場合もある気がします。
またはそういう日常や世相がやってくる場合も、風の時代だから往々にしてあるような気がします。
被害者的な意識が強まるかもしれません。しかし、「平和に甘んじているといずれ崩れる」ということを、“意識の中に浮上する異質なもの”によって思い知らされるのか、“そこ(共同体的な平和)を継続することができなくなることが外からやってきて”思い知らされるのか、いずれにしろ平和でいるにも努力が必要ということを思い知らされそうです。