質のよい文化に触れて、心の健康を保つ
美輪 当時は食べるものはなくても、大変な終戦からやっと立ち上がって、どうにかこうにか、生活が形になりだした頃でした。名曲も続々と登場してきて、禁止されていたものが復活して、洒落た時代でしたね。今は、なんでもデジタルで、人間の実際に生の声ではなくて、再生された人工的な音だから、世の中もおかしな方向に行ってしまうんだと思います。人間は何でできているかというと、肉体と精神ですよ。体を維持するために大切なのは質のよい食事。質のよいものを食べないと病気になってしまいます。では、人間を形成している精神にとっての食べ物は何かと言ったら、文化だと思うんです。文化も音楽、美術、文学、スポーツなど多岐にわたりますけれど、質のよい文化に触れないと心もやっぱり病気になるんです。五木さんは、ご両親が教育者でいらしたので、若い頃から質のよい文化に触れてこられたんではないですか。本も古典からお読みになられたとか。
五木 そんな大袈裟なものではありません。子どもの頃は、やっぱり「のらくろ」とか漫画から入っています。でも、若い頃に過ごした、銀座での本物の音楽体験は幸せな記憶として忘れられないんですよ。
「ときには、若者の文化をお勉強するのも時代絵巻のようで楽しい。」(五木さん)
美輪 五木さんは、作詞もなされて、賞もたくさんお取りになられていますが、最近の音楽をどう思われますか。私は、最近の歌にメロディがないのが気になります。
五木 メロディのことは僕にはよくわからないけれど、歌が新しい違った世界に入ってしまったなという感じはありますね。僕らの時代、歌詞はポエムでしたから。まず歌詞があって、そこからメロディが生まれてくるという感じだったんです。今は、どちらかというとリズムやメロディが先行していて、そこに後から言葉をはめ込んでいる感じかな。
美輪 メロディって、タンゴやビギン、ワルツなら、それぞれ個性が違う。それが醍醐味です。でも、最近は繰り返しが多くて、同じに聞こえてしまってつまらない。
五木 世代の限界で、どうしても理解できるものとできないものがありますが、僕はできるだけ若い人の歌番組も見て、お勉強を続けてます(笑)。音楽の変遷を眺めていると絵巻物みたいで、それはそれですごく面白い。平安時代に、今様(いまよう)というそれまでの和歌集なんかとは全く違う調べの謡物が登場したことがあるんです。最初はものすごい抵抗があったようですが、ついには王朝貴族の人まで歌うようになっていく。「遊びをせんとや生まれけむ」という有名な歌も今様なんですよ。今様、つまりニューミュージックです。
美輪 その頃は、面白い時代ですよね。出雲阿国が出てきたりしてね。1977年に、寺山修司や唐十郎と一緒に舞台を始めた頃の時代とそっくりだと思うんです。唐さんは、花園神社の境内でいきなり芝居を始めたりして。
五木 僕も、彼らと一緒に九州の筑豊のボタ山の上に、赤テント張って大騒ぎしたこともあります。その頃、最前衛だった寺山修司や唐十郎が今ではクラシックという雰囲気ですからね。昔はヒーローがいたでしょう。美輪さんのようなカリスマ的なヒーローが。今は、グループでの集団制作の時代という感じが強い。
美輪 みんなカラーが違っていましたからね。寺山修司と始めたアングラ芝居の『毛皮のマリー』や『青森県のせむし男』なんてそれまで全くなかったものでした。出雲阿国はこんな感じだったのかしらとよく話したものです。ところで、五木さんは仏教についてのご著書も多くて、その分野に造詣が深くていらっしゃいますが、何か理由があるんですか?
五木 宗教としてというよりも、宗教家の中で最大の作詞者である親鸞に興味を覚えたわけですね。仏教には、和讃という歌がありますが、最初は仏陀の教えを弟子たちが歌って覚えることから始まったんです。その日の問答をポエムにして、メロディをつけて歌う。弟子たちは、休日には町の市場に出かけていって合唱しました。最初に、法螺貝を吹いて人を集めるわけですが、これに由来して、ホラを吹くというのはもともと説教をするという意味なんですよ。それがやがて、100年以上経って、後世の弟子の手で何百巻という仏教の経典として完成されていく。ですから、お教って本来、歌なんだよね。歌というのは人を楽しませるだけではなくて、祈りとかもっと大きなものにつながっている気がする。親鸞は少年時代に大流行していた今様の調べを借りて、仏の道を説いたからこそ、民衆の心を引きつけたんだと思います。
後編に続く
撮影/御堂義乗 取材・文/小倉理加
『家庭画報』2023年1月号掲載。
この記事の情報は、掲載号の発売当時のものです。