世界の叡智に学ぶ 2023年からの生き方 最終回(全4回) 今、世界の“叡智”の言葉から学べることがあるかもしれません。その言葉には知恵だけでなく、温かみと深み、そして覚悟があります。心が折れそうなとき、不安なとき、心の杖となって支えてくれる叡智の言葉に出会えますように。
前回の記事はこちら>> 鎌倉から、心に灯をともす 横田南嶺老師(臨済宗円覚寺派管長)
横田南嶺老師(よこた・なんれい)1964年和歌山県生まれ。筑波大学在学中に出家得度し、卒業と同時に京都・建仁寺、91年より円覚寺で修行。99年円覚寺僧堂師家(修行道場の指導者)、2010年45歳の若さで臨済宗円覚寺派管長に就任。17年より花園大学総長。2年前から法話の動画配信を始めた。にこやかな表情と心地よい響きの語りに多くの人が心をつかまれる。 写真は、YouTubeラジオ『管長日記と呼吸瞑想』の録音風景。2020年4月の開始以来、毎日欠かさず配信し、円覚寺YouTubeチャンネル登録者数は約2万人に上る。詩人・坂村真民さんの純粋で一途な言葉を支えに
鎌倉・円覚寺境内の階段脇にある掲示板に、毛筆の書が貼り出されているのをご存じですか。これは横田南嶺(なんれい)老師直筆の、坂村真民(しんみん)さんの詩。易しい言葉の根底に禅の心が流れています。横田老師は、仏の教えを多くの人に伝えようと最新技術も駆使し、ご自身の支えにもなったたくさんの文言を発信し続けています。年の初めに、老師選りすぐりの言葉を贈ります。
念ずれば花ひらく
祖父の死をきっかけに幼少期から死を意識し、深く考え続けていた私はいわゆる“変わり者”でした。周囲から浮き、「どうせ死ぬんだから」とあまり遊びもせず坐禅をしていた高校時代に出会ったのが、坂村真民さん(1909~2006年)の随筆集『生きてゆく力がなくなる時』。この孤独感をわかってくれる人がいた、と感動し手紙を送ったところ、お返事をくださった。これがご縁の始まりです。
真民さんは、諸国を遍歴して念仏を広めた一遍上人に傾倒し、志を受け継ぐ覚悟で仏教を学び、禅の心を易しい言葉で綴り続けました。97歳で亡くなるまでに残した詩は実に1万編。有名な「念ずれば花ひらく」は、36歳で夫を亡くし、極貧に耐えて必死に働き、子ども5人を育て上げた母上の口癖です。強く願い、努力し続ければ道は必ず開ける。私が35歳で修行道場の指導者になり、重責に耐えかねて挫折しかけたときにもこの言葉が頭をよぎりました。
純粋さと、自らの求める真実を妥協せず掘り下げる力強さを兼ね備えた一途な言葉は、万人の心に灯をともすに違いない。そんな思いで私は折にふれ真民さんの詩を読み、書き、伝え続けているのです。
近年、掲示板に貼り出された老師直筆の坂村真民さんの詩の数々。慈悲の心を育てる
――お寺が動画配信とは、少し意外です。老師 円覚寺は昔から進歩的で、時代の最先端を取り入れてきました。鎌倉時代、無学祖元禅師は南宋から当時の技の粋を極めた最高級の調度品を持ち込んで創建。明治維新後にいち早く一般の人々に坐禅の門戸を開いたのも円覚寺。となれば、コロナ禍で人が集まれないならSNSで法話を発信しようとの発想は歴史の延長線上だったとも思えます。
――時代に合わせることも必要なのですね。老師 時代の変化に乗るのです。仏教の真理である無常(すべてのものは変化し続ける)は、不安や動揺の要因にもなります。臨済宗の宗祖・臨済は「境に乗る」といいました(境は環境、外界の意味)。“合わせる”でも“受け入れる”でも、まして“避ける”でもなく“乗る”。主体性と軽やかさ、サーフィンのような楽しさすら感じられる言葉です。
――2023年、私たちが持つべき心とは。老師 仏教では慈悲の心をとても大切にしています。慈は人に何かをしてあげたいと思う心、悲はともに悲しむ心。誰もが本来、持っているものですが、これを育てることが重要なのです。ではどうしたら育つのか。人は支え合って生きている、自分に何ができるだろうか、と思いを巡らす。やがてそれぞれの場所で何かしら見つかるものです。たとえば今、隣にいる人に温かい言葉をかけてみるのも慈悲。世の中に明るさを取り戻すのは一人一人の慈悲の積み重ねにほかなりません。
舎利殿の隣、修行僧が坐禅を行う禅堂で坐禅をする横田老師。※特別に許可をいただき撮影。
家庭画報読者の皆さまへ
コロナ禍と言われるようになって、もう長くなりました。
その間私たちの暮らしは大きく変化しました。
大勢の方がお亡くなりになったことにお悔やみ申し上げます。
今もたいへんな思いをされている方もいらっしゃるかと拝察します。
また医療に従事してくださっている方々には
深く感謝するばかりです。そんなたいへんな思いをされている
方々の中で、私などは、2020年に緊急事態宣言が発出されて
「不要不急」の外出自粛の要請が出されてからというもの、
それまでの活動のほとんどが休止となってしまいました。
私が行ってきた法話や講演、坐禅会、研修会などは
皆「不要不急」と言われたようなものでした。
少し寂しい思いもしましたが、
風車 風が吹くまで 昼寝かな
という廣田弘毅の俳句を口ずさみながら、畑を耕したり、
改めて仏教を勉強し直したりして過ごしてきました。
ほんの一時の雨宿りくらいに思っていたコロナ禍でしたが、
思いのほか長くかかったものです。
はじめの緊急事態宣言の頃には、仏教詩人の坂村真民先生の
「嵐はかならず 去る 火はかならず 消える
夜はかならず 明ける
このことがわかれば大抵のことは解決する」
という言葉を色紙に書いていました。この通りなのです。
どうしようもない時は、この嵐の去る時を待つしかありません。
その間に、自分たちの行ってきた修行のあり方も見直しました。
“五つを調える”が基本だと再認識したのです。
食事と睡眠と姿勢と呼吸と心であります。
食事については、かねてから発酵食品に関心がありましたので、
お漬物の他に甘酒や豆乳のヨーグルトなどを自分で作っていました。
体にやさしいものを取り入れると心も落ち着くものです。
睡眠もあまり削りすぎないように心がけていました。
姿勢と呼吸と心を調えるのは、毎日の坐禅にほかなりません。
そのように心がけて、
感情を波立たせず思考力を正しくはたらかせることこそが、
修行の肝要なところだと確認していました。
そしてその目指すところは、
いつでもどこでも微笑んでいられることであります。
そこで毎日いつでも、
常に微笑みを忘れないように心がけてきました。
やはり、イライラしたり、不愉快な顔をしていると
まわりにも悪い影響を与えます。
微笑んでいると、それだけで
自分も周囲も明るくなるものです。
コロナ禍にあって、法話会なども出来なくなったので、
新しい文明の機械を利用して
法話を動画で配信することも始めてみました。
やはりコロナ禍という、多くの人が不安になっている時に、
心の安らぎを得たいという人が多かったのでした。
今まで円覚寺に来たことがないという、
ご縁の無かった方にも視聴してもらえるようになりました。
そして多くの方々から
感謝のお手紙などを頂戴するようになりました。
どんな時でも工夫のしようで、
新たな道が開けるのだと思いました。
どんなささいなことでも
誰かに感謝されることで、
人は生きる喜びを見出してゆくものです。
やがてコロナ禍もおさまってゆくことでしょう。
お互い毎日食事や睡眠、
姿勢や呼吸などを見直して笑顔で暮らしたいものです。
横田南嶺
円覚寺定例「日曜説教」(提供/円覚寺)。ホームページから参加予約が可能。特別法話「慈悲の心を育てる」
新年を迎えるにあたり、横田南嶺老師より家庭画報読者の皆さまへ、特別法話「慈悲の心を育てる」をいただきました。
撮影/鍋島徳恭 取材・文/浅原須美 構成・取材・文/小松庸子
『家庭画報』2023年1月号掲載。
この記事の情報は、掲載号の発売当時のものです。