エッセイ連載「和菓子とわたし」
「和菓子とわたし」をテーマに家庭画報ゆかりの方々による書き下ろしのエッセイ企画を連載中。今回は『家庭画報』2023年1月号に掲載された第18回、林 望さんによるエッセイをお楽しみください。
vol.18 手作りおやつの郷愁
文・林 望
昭和は遠くなりにけり、そういう感慨が深い。戦後まもなく昭和24年に生まれた私どもの世代の子供たちは、まだまだ戦災の痕(あと)もそちこちに残っている貧しい時代に育った。その頃は、今のように華やかな和洋菓子もなくて、東京生まれの私たちでも、春秋(はるあき)のお彼岸のおはぎなどは、いつも母や祖母が自宅で作ったものだった。
そもそも和菓子の根幹をなす「餡こ」にしてからが、私の家では、買うのではなくて自宅で作るものであった。子供の頃から料理好きだった私は、いつも母の料理を見ていたこともあって、餡こを煮るときはたいてい手伝わされた。粒餡なら小豆(あずき)から煮て、また漉(こ)し餡なら「晒(さら)し餡」という袋詰めの粉末から長い時間かけて煮詰めて作るのであった。当時は火鉢に五徳(ごとく)を置いて、その上で常時かき回しながら煮たが、煮詰まってくると箱根の坊主地獄のように煮え爆(は)ぜる餡が手に跳はね、熱くて弱った。
手先が器用で、なんでも自分で作るのが好きだった母は、クリスマスのデコレーションケーキまで自作したが、一方また、庶民的な焼き菓子の今川焼なんかも、自宅で作った。
どこで買ってきたのか、鋳鉄(ちゅうてつ)製の今川焼の焼き型があって、餡こがこってりと煮上がると、粉に卵やらなにやらの材料を混ぜて皮の生地を作り、おもむろに、これも火鉢の上に載せた焼き型に、薄く油を引いて、そうして皮生地を注ぎ入れ、スプーンで餡こを掬(す)くって載せると、その上にまた生地を載せるやすぐに、観音開きになった反対側の型をパタッと合わせるのであった。それから何度かひっくり返して、なかの餡こがすっかり熱くなるまで気長に焼いた。
そういうのは、学校から帰ってきた私たち子供のこよなき遊びでもあり、甘くておいしいおやつでもあった。なんだか、餡こをかき回す私を叱咤激励(しったげきれい)する亡き母の声まで蘇ってくるような、懐しい想い出である。そこで、私は、ふとこんな俳句を作った。
今川焼昭和の子らの午後三時
宇虚人林 望作家・国文学者。1949年東京生まれ。イギリス滞在の経験を綴った『イギリスはおいしい』が日本エッセイスト・クラブ賞を受賞し、作家デビュー。『ケンブリッジ大学所蔵和漢古書総合目録』(P.コーニツキーと共著)で国際交流奨励賞、『林望のイギリス観察辞典』で講談社エッセイ賞、『謹訳源氏物語』全十巻で毎日出版文化賞特別賞を受賞。学術論文、エッセイ、小説のほか、歌曲の詩作、能作・能評論、古典文学など著書多数。