歌舞伎の道を歩む父と子の対話「高麗屋の夢」 第2回(全3回) 令和の歌舞伎界を牽引する存在として活躍している松本幸四郎さんと17歳にして歌舞伎座の主演を果たすという偉業を成し遂げた市川染五郎さん。お二人が歩んできたこの一年を振り返って語っていただくとともにさらに未来の自分に託す思いを自らの言葉で綴っていただきました。情熱的な歌舞伎俳優の“今”を撮り下ろしの舞台写真とともにお届けします。
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戦っていますか?── 松本幸四郎
“赤いちゃんちゃんこ”に袖を通す儀式が目前に迫っている貴方様へお手紙を書きます。
戦っていますか?
僕はもうすぐ生まれてから半世紀に達します。これまでの僕は、密かに年代ごとに目標を立てて生きてきました。
20代の目標は“根拠のない自信”を持って前に進んで生きること。あらゆるお芝居、役々、お話をいただいたものにはひたすら飛び込んでいく。時々僕の唯一の趣味でもある妄想に耽り、“あんなことをしたい、こんなことをしたい”など、思いついたことを書き留めていました。
30代は“どこまで自分を不安に陥れることができるか”を目標に、自分の妄想を現実にするために行動を起こしました。妄想の時間は自分の思い描いた夢が広がっていく世界です。今の自分に出来ることを考えるのではなく、妄想で作り上げた理想の自分を信じて......。しかし、それを現実で叶えようとすると不安が生まれます。今の自分と妄想の自分があまりにも違い過ぎている。しかし、今はその恐怖を存分に味わう時間だと自分に言い聞かせました。
40代は「これは僕にはできません」と堂々言える人間になること。自分を諦める。自分に期待をし続けることは自分を見失うことでもあります。それが自分の長所、短所を自分で見極められることにつながるのではないかと思って目指しました。準備、努力を徹底して“根拠のある自信”を持って舞台に立とうと心がけたのです。そうして生きた毎日がそれぞれ重い1日ではありながら、あっという間に40代が終わろうとしています。
そして僕の半世紀が目前に迫っている今、これまでを振り返ると......、どの目標も志半ばで年代が移ってしまいました。そもそもこの目標に達しているか否かは自分自身が判断することです。寸分の狂いなく刻まれてゆく時の流れに身を任せ、少々の憧れと大きな嫉妬を抱きながら生きてきた僕。これまでの時の過ごし方には後悔するばかりです。
50代の目標は“戦っている”。これからの年代に立てた目標を胸に掲げ、10年間生きてきたあなたはどうなっているのでしょうか。
戦っていますか?
50代の僕は生涯の生業と定めた“歌舞伎職人”として戦います。戦おうと思うのではなく、戦いに挑むのでもなく、常に戦うことを胸に生きる意味を込めた“僕は戦っている”という目標。
僕のたった今の思いを貴方だけにお伝えしました。
『菅原伝授手習鑑 寺子屋』武部源蔵。叔父にあたる2代目中村吉右衛門さんの追善公演として行われた「秀山祭九月大歌舞伎」で松王丸との2役を尾上松緑さんと日替わりのダブルキャストで演じた。寺子屋で匿っている菅秀才を時平方から首を討って差し出すようにいわれ、苦慮しながら決断する。命の尊さを伝える難役。2022年9月、歌舞伎座。『揚羽蝶繍姿』『熊谷陣屋』の熊谷次郎直実。2代目中村吉右衛門さんの当たり役で構成された演目。ほかに『籠釣瓶花街酔醒』で田舎から出てきて吉原の花魁を見染める佐野次郎左衛門も演じた。2022年9月、歌舞伎座。『安政奇聞佃夜嵐』青木貞次郎。幸四郎さんの曾祖父の初代中村吉右衛門と6代目尾上菊五郎が演じていた好評を博した演目。6代目の曾孫にあたる中村勘九郎さんが相手役の神谷玄蔵を勤め、念願の共演が実現した。2022年8月、歌舞伎座。松本幸四郎(まつもと・こうしろう)1973年東京都生まれ。2代目松本白鸚の長男。1979年歌舞伎座『俠客春雨傘』で3代目松本金太郎を襲名し初舞台。1981年歌舞伎座『仮名手本忠臣蔵』で7代目市川染五郎を襲名。2018年歌舞伎座、高麗屋三代襲名披露公演「壽 初春大歌舞伎」で10代目松本幸四郎を襲名した。
〔特集〕歌舞伎の道を歩む父と子の対話「高麗屋の夢」(全3回)
撮影/篠山紀信 ヘア&メイク/林 摩規子(幸四郎さん) 構成・文/山下シオン 協力/松竹
『家庭画報』2023年1月号掲載。
この記事の情報は、掲載号の発売当時のものです。