松浦史料博物館の庭にて、松浦家第41代当主・松浦 章(あきら)氏と、奥さまの泰子(たいこ)さん。海をはさんで高台に建つのは、祖先が主であり、再建された平戸城。日本随一の国際港であった平戸にて。旧藩主の名残が香る、松浦家の元旦
松浦氏の旧邸宅は、現在は松浦史料博物館となっている。門には三つ星と梶の葉、2種の家紋が染め抜かれた幕が張られ、門前には椎の木を用いた独特の正月飾りがされる。松浦史料博物館長崎県平戸市鏡川町12
TEL:0950(22)2236
南に九十九島、北に玄界灘を望む景勝の地・平戸。かつて西の都ともいわれ、中国や朝鮮との海上交通をはじめ、キリシタンバテレンの布教のための入港や南蛮貿易など、日本初の貿易の窓口となり、繁栄を極めました。
かつてヨーロッパの大型帆船が往来した、うららかな冬の平戸の海。初代オランダ商館長の名をとり、スペックス海峡ともよばれる。海を見下ろす高台にそびえるのが平戸城で、松浦家第26代鎮信(しげのぶ)(法印)公が慶長4(1599)年に築城しましたが焼失、その後城門以外が復元されました。そして平戸港をはさんで城と対峙するのがお館山(たちやま)。
かつての歴代当主の邸宅があった地で、第39代陞(すすむ)(如月)公により土地、建物、史料が寄付されて、現在は松浦史料博物館となっています。
平戸の鬼凧「鬼洋蝶(おにようちょ)」は水野尾心章 作。絵柄は平安中期の武人、渡辺綱(わたなべのつな)(平戸藩祖5代)が主人公の「羅城門鬼退治の図」。魔除けとして珍重される。「平戸の家は山田老という曾祖父から松浦の家に仕えてくれた者が守り、祭事や行事などすべてを取り仕切ってくれていました。家には独自の決まり事が多々ありますが、できる限り昔のまま次世代に伝承することが責務だと考えています」と第41代松浦家当主の松浦 章氏。
元旦は大福茶としてお抹茶をいただき、その後書き初め、男子のみ『四書五経』の読み初めをし、それからお雑煮となります。食後は松浦家の菩提所である雄香寺に詣で、ご先祖のお墓参りをするのが習いです。
下のフォトギャラリーで詳しくご紹介します。 撮影/三笘正勝 取材協力/萬 眞智子
『家庭画報』2023年1月号掲載。
この記事の情報は、掲載号の発売当時のものです。