今や、キャプテンにしてエース格の存在といわれるまでになった山野主将ですが、入部当初は数々の悔しい思いを経験したと語ります。
「幼稚園からずっと、地元山口県のマラソン大会ではいちばんだったのが、一般入試で駒澤大学に入り初めての強豪校で揉まれたんです。下のチームに振り分けられたりしてすごく悔しかった。同級生の田澤に対しても負けたくなくて。なんとしても上のチームに上がる!という思いで、人一倍練習し体づくりもしてここまで上がってきました」。
絶え間なく努力を重ね、人の痛みもわかるからこその輝く笑顔。鈴木芽吹選手(3年)が大腿骨を骨折してお風呂やトイレに行くのにも難儀していた頃、助けを求めたのが他でもない山野主将。不思議と納得です。
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