世界中に愛されるその秘密 ルイ・ヴィトンのある暮らし 第9回(全14回) 旅にまつわるラゲージからその歴史を始めた「ルイ・ヴィトン」。その後、ファッション、ジュエリー、アートと、常に時代を牽引し、新しいライフスタイル “文化”を作り上げてきました。ルイ・ヴィトンが、なぜこれほど世界中の人々から愛され続けるのか。創業者の生誕200周年を迎え、さらなる進化を続けるその魅力を、パリ特別現地取材を含めご紹介します。
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私たちがモノグラムに魅了される理由
ひと目でルイ・ヴィトンの製品と見分けられる個性と普遍性。“家紋”という独自の文化を持つ日本ならではの観点からモノグラム・キャンバスが愛され続けている理由を考察します。
1896年に2代目のジョルジュ・ヴィトンによって考案されたモノグラム・キャンバスは、ルイ・ヴィトンの頭文字と幾何学模様や植物のモチーフを組み合わせたオリジナルの意匠。120年以上の時を経た今なお、さまざまなアイテムに用いられ、愛され続けています。シンプルで力強く美しく、持ち主を語るアイコン
ルイ・ヴィトンを代表するアイコンであるモノグラム・キャンバス。デザインの起源には諸説ありますが、どこか日本の家紋に通じるものを感じます。
「家紋は平安時代末期に公家の文化から生まれたと考えられています。その後、武士たちが戦場で敵味方を区別する役割を果たし、江戸時代になると庶民も持つことが許されるようになり、広く普及しました。現在では約5万種類のバリエーションがあるといわれます」と語るのは、きものに家紋を手描きで入れる技術を受け継ぐ「京源」の3代目紋章上繪師、波戸場承龍さん。
「西洋にもファミリー・クレストと呼ばれる紋章は存在しますが、貴族だけのものですし、もっとリアルで立体的な図柄が多いですね」と、4代目の波戸場耀次さんが言葉を添えます。
森羅万象のさまざまなものをシンプルに削ぎ落としアイコン化した家紋は、日本独自の意匠といえるでしょう。
1867年のパリ万国博覧会の模様を伝える絵。中央の日本女性のきものには紋が入っているように見える。Mary Evans Picture Library/アフロ「海外のかたの目に、家紋はとても新鮮に映るようです。以前、東京を旅行した外国のかたが父が手がけたコレド室町の大暖簾をご覧になって、これをデザインした人に自分も紋を作ってもらいたい……と訪ねてきたこともありました。グラフィックとしてはもちろん、一つのモチーフに意味や想いを込め、自分や家族のアイデンティティにするというストーリーも面白いのかもしれませんね」と、耀次さん。
ルイ・ヴィトンが初めて出展し銅賞を受賞した1867年のパリ万博は、日本にとっても初めて正式に参加した万博でした。
幕府と薩摩・佐賀藩が出展しており、創業者のルイ・ヴィトンが会場で紋付に身を包んだ日本人や家紋の入った工芸品を目にした可能性があるかもしれない、もしくはその後のパリ万博でモノグラム・キャンバスの生みの親であるジョルジュ自身が家紋と接点があったかもしれない……と想像は膨らみます。
1900年のパリ万博に出展したルイ・ヴィトンのスタンドを描いた銅版画。万国博覧会への参加はメゾンの慣行として定着し、2005年に開催された愛知万博でも話題を呼びました。©ARCHIVES LOUIS VUITTON「そう思って見てみると、モノグラム・スターは“四つ割七宝崩し”、モノグラム・フラワーは“石持地抜き梔子(くちなし)”や“石持地抜き四つ星”の家紋に通じるものを感じます。モノグラム・フラワーの2つの文様も、“地抜き”と呼ばれる家紋の白黒反転の技法に共通しますし。ただ、もし家紋がヒントになってそのエッセンスを取り入れたのだとしても、家紋とは異なるオリジナリティも伝わってきます」
モノグラム・キャンバスの誕生にはいくつかの説がありますが、若き日のルイ・ヴィトンや跡を継いだ2代目が日本の家紋に出会い、インスピレーションを得たのであったらと考えると、ロマンをかき立てられます。
もし直接的に家紋の影響を受けたわけでないとしても、多くの日本人がモノグラム・キャンバスのアイテムをこよなく愛する背景には、円と線との組み合わせで構成されたシンプルで美しい家紋という意匠を独自の文化として大切にしてきたDNAと響き合う部分があるのかもしれません。
1897年に最初にモノグラム・キャンバスが使われたトランク。©ARCHIVES LOUIS VUITTON 取材・撮影協力/ルイ・ヴィトン 撮影/本誌・大見謝星斗 取材・文/清水井朋子
『家庭画報』2023年2月号掲載。
この記事の情報は、掲載号の発売当時のものです。