スーパー獣医の動物エッセイ「アニマルQ」 豊富な治療経験と天性の観察力がもたらす的確な判断。野村先生は動物の心が読めると感じている患者は少なくありません。その千里眼のごとき観察力は時に動物ばかりか、動物の後ろの飼い主の人間関係や人生まで見てしまうことも……。
一覧はこちら>> 第26回 ここ掘れわんわん
文/野村潤一郎〈野村獣医科Vセンター院長〉
病院の駐車場に、音もなく黒塗りのロールスロイスが滑り込んできた。駐車枠を完全無視して通路のど真ん中に停車した巨大な車両から、今時珍しい制帽に背広姿の運転手が素早く先に降りて一礼し、白手袋で後部座席のドアノブを開錠する。
降車した高級スーツに身を包んだ逞しい男性は、実はかなりの老人である。肩まで伸ばした白髪と旧千円札の伊藤博文のような白髭をなびかせ、鋭い眼光で周囲を一睨すると、何かに納得した様子でピカピカに磨きあげられたステッキをぶんぶんと振り回すのがいつもの習慣だった。
拝謁した誰もが首(こうべ)を垂れて手を合わせたくなるその威容。ド派手かつ厳かに来院したこの風格満点の老紳士は、我が病院の数多い患者の中でも一二を争う大金持ち、仮に立花勘兵衛氏としておこう。
「先生、太郎の便を持ってきたよ。
また血便が出てフラフラになってるよ」
彼の愛犬は最近ではあまり見かけることがない鉤虫(こうちゅう)に感染していた。この寄生虫は腸の粘膜に鉤を食い込ませて血を吸うため、犬は失血し放置すれば死ぬこともある。
「検便しましたが、
また鉤虫の卵が検出されました」
老紳士は肩を落として言った。
「では、
また虫下しを出してください」
「何度も言うようですが、ご自宅の庭の土壌が鉤虫卵に汚染されているため、そちらの対策をしないと堂々巡りのままになります……」と私。
「そう言われても……」
彼はため息をつきながら懐から継ぎ接ぎだらけの“古い靴下”を引っ張り出し、それに入っていた小銭を勘定して代金を支払った。靴下が彼の財布だった。大正に生まれて、昭和の初めに上京し苦労を重ねてきた彼は、ケチ根性が染みついているのかもしれない。
上に向けた手の平を揺さぶりながらお釣りを催促するその様子を見て、私は「重症ですな……」と心の中でつぶやいた。
数日後のことである、立花老人の次男だと名乗る初老の男性からの電話を受けた。
「うちの父に何を焚きつけたんですか。こちらは迷惑しています」
私の精神は犬のそれなので感情指数が高い。だから音声信号の微弱な波動の中に人間の本性を見出すことができる。うん、怒り1割、焦り9割か……。
「うちの父は所有している広大な日本庭園にブルドーザーを入れて更地にしてしまったんですよ! どうしてくれるんですか!」
「ああ、ケチケチして渋っていたのに、とうとう決心したのですね」
「父は100歳近くで老い先短いのですよ。犬がどうとかで今さら大それた工事をして……いくらかかったと思っているんですか。庭木や錦鯉だけでも数千万円の価値があったんですよ!」
ああなるほどそういうことか……。私は感情の割合の理由に納得したのだった。