その日の夕方、立花氏が再び病院を訪れた。今回は高校生くらいの女の子と一緒だった。
「先生、思い切って庭をつぶして土を全部入れ替えたよ。おかげさまで太郎の血便はケロリと治ったよ」
しわくちゃの顔は怒っているのか笑っているのか相変わらずよくわからないが、心なしか鋭い眼光が穏やかになっている。
「それは良かったですね。でも息子さんから費用が莫大だったと苦情の電話が入ってとても嫌でした」
私がそう言うと、
「ああごめんよ。本妻の息子は3人だが、みんなもう還暦で孫がいるんだよ。私の遺産を巡って骨肉の争いをしている醜い連中だよ。だから私が金を使うのを快く思っていないんだ。でもそろそろスッキリさせるよ」
女の子が言った。
「涼子と申します。先生に会うと父は元気になるんです。その理由が今日わかりました。動物みたいな人だって聞いていました。ホントにそうですね」
「それって褒められているのかな……え、お嬢さん?」
かんらからから!と高笑いをしながら老紳士が言った。
「私が今愛しているのはこの子と太郎の二人だけだよ」
あとで聞いたことだが、その子は彼のお妾さんだった元芸者の女性が産んだ子だという。大邸宅で優雅に暮らした母親は既に亡くなっている。
しわくちゃの顔は今度は確かに笑顔だった。それにしても一体何歳で子作りをしたのだろうか。
気になった私は念のため二人の顔と“体臭”を再度確認した。確かにDNAが一致していた。紛れもない父娘であった。ちなみに私の経験からいうと、“父親が違う”と思われる子どもは10人に1人くらい存在する。女性にとって人間社会で生きるために必要な男と、生物として本能が求める男とは別なのだ。人間の世界も色々と大変だと思う。
さて、読者の皆さんはこの後に何が起こるか何となく予想が付いているはずである、そう、大金持ちのマッチョ爺さん立花氏が突然亡くなったのである。噂では腹上死だったという。
人間を含む全ての生物は、生まれて育って、生き延びたら交尾して子孫を残して死ぬ。結果、肉体の寿命が尽きて灰になっても、DNAは次世代に受け継がれる。DNAこそ生き物の正体であり、個体はDNAのタクシーの如きものであるといえる。
つまり未来にDNAが生き残っていさえすれば、その個体は死んでいないと考えてもよい。だから己のDNAを合体させる相手は非常に重要で、男は沢山の畑にタネをばら蒔いて可能性を増やしたいし、女は己の畑に蒔かれるタネを慎重に吟味したい。
立花氏は本妻に蒔いたタネの出来が悪いと感じたから、お妾さんに涼子ちゃんを産ませた。涼子ちゃんの仕上がりが良かったので、きっともう一人出来の良い息子が欲しかったのだと思う。しかしハッスルし過ぎてしまった。
そして金持ちだったのにケチだった理由だが、これも子孫が生き延びるための蓄えを死守していたからだと推測している。昆虫の一種でさえ、子のためにエサを残すのだから、カネがモノをいう人間圏の中だけで勝負をかける生物=人間ならば当然かもしれない。彼は財布や靴下など自分だけが使うものは徹底的に節約し、家や土地などの資産を残そうとしていたのではないだろうか。
ロールスロイスや上等なスーツは赤の他人と付き合って利益を生むための舞台衣装のようなものと思われる。パジャマのまま歌う演歌歌手はいない。