この間に菊地氏はいくつかの大きな決断をしていた。まずは今住んでいる都内の戸建て住宅を始末して、老人ホームに入ろうと思う。それから別荘も売却して身軽になる。もしも配偶者にふさわしい女性に巡り会えたら、一緒に老人ホームに住んでも良いし、彼女は自分の家に住んで、ホームに通って来てくれてもかまわない。
つまり結婚したい気持ちに変わりはないし、入籍も相手の女性の希望に沿うようにしたいが、これからの人生のパートナーとなる女性と、旅行、観劇、美食などを楽しみたいというのが菊地氏の希望だった。
なるほど、女性に家事をすべて押し付けないようにしようというのは、菊地氏の気配りだろう。感心していると、菊地氏が面白い発言をした。
このアイディアは実はアメリカ人の友人から聞いたのだがと前置きがあった。若い頃は海外駐在が長かった菊地氏は英語が堪能で、外国人との付き合いも多い。その一人からのアドバイスというのは次のようなものだった。
自分の年齢を考えると、これから先何が起きるかは想像もつかない。脳溢血や心筋梗塞で半身不随になる可能性も除外出来ない。その場合、もしも急逝したら残された女性は可哀想だ。だから、遺書を書いておいてはどうだろうか。例えば1年間を献身的に看てくれたら1000万円、2年間なら2000万円、3年間なら3000万円。それ以上となったら、もちろん纏まった金額が入るようにしておく。
考えたものだと私は唸った。菊地氏の意識の中には、自分が関わった女性は経済的にも面倒をみなければいけないという思いがあるようだ。
ここ10年ほどの傾向として、いわゆる後妻業の女性が話題になっている。年を取った男性の財産だけを目当てに近づいて来る女性のことだ。しかし、菊地氏も私もその種の女性を見抜く自信はある。いくらなんでもそれはわかる。だが、本当に誠実で、心から尽くしてくれた女性に、1年患っただけで何も残さずに亡くなっては可哀想だと感じるのは人情だろう。
なかなか日本人の発想にはないかもしれないが、1年間の愛情への対価として1000万円を置き土産として残すというアイディアは妥当だし、面白いと思った。
残念ながら、私にはそこから先への想像力が続かなくて、具体的にはどうしたら良いかといった意見は浮かばなかった。
とにかくコロナが災いして、何人か声を掛けてみたのだが、どの女性もお見合いには二の足を踏んだ。私もお見合いの席を設定するのは難しいだろうと感じていた。