しかし、菊地氏とのメールや電話のやり取りは続いていた。なんとかして、菊地氏のパートナーをみつけてあげたかった。60代70代の女性の友人の中に、割合とはっきりと意見を表明する人がいた。仮に冴子さんとしておこう。冴子さんに菊地氏とお会いしてみないかと勧めていた時だった。
「ねえ、工藤さん、彼は結婚したらセックスもする気持ちがあるのかしら?」と突然尋ねて来た。
いや、実は私もそれが心の隅に引っ掛かっていたのだ。彼はどこまで望んでいるのだろうか。まさか子供じゃあるまいし、何もしないということはないだろう。といって直截に確認するのは失礼にあたる。
80代というのは微妙な年齢には違いない。完全なる老人と受け止める人もいるし、現役の男性だと思う人もいる。
冴子さんが私の顔を見ながらまた口を開いた。
「実は私ね、結婚相談所に登録したことがあるのよ。そこでお医者さんの男性を紹介されたの。彼は83歳だったかな。私は69歳だった。初めてデートした夜にホテルに誘われて、びっくりしたけど、戸惑う年でもないしと思って、部屋にはついて行ったのね。そうしたら、まだ手も握っていないのに、突然、猛烈な勢いでキスを迫って来て、さらにワンピースのジッパーに手をかけられたのよ。ところが、私はもう20年以上セックスなんてしてないから、すぐにそんな態勢にはなれなくて、逃げるように家に帰ったの。つまりね、そのへんの意見の擦り合わせっていったら変だけど、どうするのが希望かって、やっぱり間に立つ人が、事前に聞いてあげる必要があるんじゃない」
そんな猪突猛進の男性なんて、私だったら頰を引っぱたくか蹴とばすところだろう。もちろん、極端なケースはあるとしても、確かにそういうのは、成りゆきに任せるだけで良いものではない。
難しいテーマが出て来てしまった。冴子さんは74歳だが、とても若く見える。しかし、もう面倒くさいので結婚したとしてもセックスはしたくないと明言する。
「じゃあ、なんで結婚したいんだって言う人がいるかもしれないけど、年を取ってだんだん身体も不自由になって来た時に、まったくの独り暮らしって寂しいだろうと思うの。何をしても一人って辛いわよ」
まあ彼女の気持ちもわかる。特に災害に見舞われたり病気になったりしたら、心細いことこの上ない。セックスレスの結婚生活でもかまわないという人もけっこういるような気もする。それも夫婦の一つのあり方だ。
私が菊地氏のお見合い相手をみつけられないでいる間に、彼はどんどん断捨離を実行して、景色が素晴らしい老人ホームへと引っ越した。その行動力にはただ脱帽するのみだった。さらに昨年の夏に彼からメールが来た。
心がときめくような素敵な女性と出会ったのだという。私がもたもたしている間に、菊地氏はさっさと自分の手で残りの人生の新たな幕を開けてしまった。この1年間、彼はまさに強烈な恋愛へと身を投じたのである。続きは次回で。
工藤美代子(くどう・みよこ)ノンフィクション作家。チェコのカレル大学を経てカナダのコロンビア・カレッジを卒業。1991年『工藤写真館の昭和』で講談社ノンフィクション賞を受賞。著書に『快楽』『われ巣鴨に出頭せず――近衛文麿と天皇』『女性皇族の結婚とは何か』など多数。