その頃の私は、ボロいアパートを買い取って日曜大工でリフォームし、今以上に沢山の生き物を飼っていたが、ある日、水槽の重さで家が傾いてしまった。それをクルマ用ジャッキ数十台を使って自力で水平に戻したのである。愛好家仲間にそんな話をすると、次々と出てくる大型魚武勇伝……。
あるオヤジは「あーそんなのはまだいいよ、俺の家なんか倒壊したよ。ぺしゃんこだよ。水って重いんだなってこの歳になってわかったよ」などと宣(のたま)う。
それを聞いた別のオッサンは「倒壊したなら引っ越せばいいじゃん、俺の場合はマンションだからね。タイガーショベルが水槽をぶち破って、階下は大洪水だよ。30年かけて弁償するんだよ……」などと言う。
「うちは一軒家なんだけどさ。レッドテールの体当たりでポンプの配管が外れて、噴水状態になったから、もうどうでもいいや!と思って子供たちを遊ばせたよ。私設サマーランドだよ」
大きな魚は心をも大きくするらしいが、これを別名ヤケクソともいう。その他にもいろいろある。
「生き餌の代金が毎日1万円以上かかるから自分はカップ麺」「ヒーターやモーターの電気代が毎月数十万円かかって離婚」「水道代がものすごいことになり、水道局が調査しに来た」「魚の成長が早いため頻繁に水槽を買い替えていたら、ガレージが古水槽で埋まり、愛車は月極駐車場に置いている」
こういった予想外の散財と災難に見舞われる人もいれば、
「ピラニアに咬まれて20針縫った」「淡水エイに刺されて2年たったが指の麻痺が治らず、今もドロボウ指のまま」「電気ウナギで感電して失神し、陰茎でアースしたため今も排尿時に尿道が痛い」
など大型魚飼育ならではの怪我をする人も多かった。またワイルドな魚たちだから起こる魚本体のトラブルも頻発した。
「大型シクリッドがケンカして再起不能のボロボロ状態になり、全部死んだ」「朝起きたらジャウーが同居魚のゼブラタイガーを飲み込もうとしたらしく、のどに詰まらせ共倒れしていた」「アロワナが水槽に激突して両目と下顎が吹っ飛んだ、仕方がないので焼いて食べたら美味かった」
などである。また大型魚の展示がウリのレストランでは
「全長2メートルのピラルクがジャンプして、天井の高さから落下し、家族団らん中のテーブルを真っ二つに割った」
という伝説の事故も、マニアの間では有名な話である。
大型魚のブームは過熱した。
毎日のように珍しい種が輸入され、熱帯魚専門誌もこぞって特集記事を掲載した。熱帯魚店が乱立した。バブル東京は地上に展開する銀河のようだった。新宿の摩天楼の窓明かりは消えることはなかったし、24時間営業の店舗が街を昼間のように照らし、真夜中でも買い物客や恋人たちが行き交った。深夜にクルマを走らせている時に、熱帯魚用蛍光灯の光を見つけると胸がときめいた。道にクルマを停め、ドアを開けて店内に入る時のワクワク感は今でも忘れられない。
その後、この趣味に熱中した人たちの興味は徐々に分散した。バブル崩壊直前あたりから始まった爬虫類ブームに夢中になったり、小型哺乳類の飼育に転向する者もいたが、それはいいとして、やはり経済の悪化が、金と場所と気力が必要な大型魚飼育の終焉に拍車をかけたのだと思う。新しい時代の平等教育も人間のオスの染色体の退化を招いた。
私が青春を生きた時代は、割り勘デートやクルマも用意せずに女性を歩かせるなどもってのほかだったが、今の男性はそこまで女性を大切には扱わない。嘆かわしいことである。時代とともに世の中の常識や趣向が変わるのは仕方がないことかもしれない。だが想像してみてほしい。
少年の心を失わないターザンのような逞しい男が、白い歯を見せながら得意そうな笑顔で案内する男の城。視界いっぱいに迫る巨大な水槽。それを照らす怪しげな青紫の光。部屋中に満ちた熱気と湿度、そして強力なポンプによる水の音。濾過槽からは炭のそれに似た芳香が漂い、目の前をゆっくりと通過する巨大な怪物魚のその威容!
あるものはギラギラの金属光沢を発し、あるものは極彩色のヒレをゆらゆらさせ、またあるものは水底で獲物を待ち構え、そのどれもが美しく輝いている。
その光景はまるで濃厚な夢の世界のようだが、非現実的なリアルだった。強者どもが夢の跡、昔々のおとぎ話である。