欠落の美、完全の美、いずれも茶の湯の魅力。
すべては亭主の心のままに
竹花入は千利休が考案した道具の一つで、利休の茶のイメージを端的に表現するのに、とても適していたのではないかと思います。のちに、織部、遠州、石州などの茶人が、それぞれ竹花入を茶席の花入として扱うようになっていきます。
茶の湯の世界で竹花入が連綿と使い続けられてきたのは、形式的にというよりも、各時代の茶人が利休の意図を汲んでその精神性を継承しようとしたからではないかと思うのです。
存在感ある二重切竹花入と、潔く枝葉を落とした花2種の絶妙なバランス花筏(はないかだ)、岩根絞椿(いわねしぼりつばき)
二重切竹花入(にじゅうぎりたけはないれ)小堀遠州在判この遠州の二重切竹花入なども見ているだけで、いいなあと思います。まずは花入自体の存在感。胴の部分に割れがあり、その部分に鎹を打って補修してあります。
通常、割れるということはマイナス要素ですが、それをプラスに転じるのがお茶の世界です。割れてしまったり、欠けてしまったり、欠落したりといった、足りないところを思いきり飲み込み、それも表現として、そこに自分を重ね合わせていく。そして、そこに花が入ることによる変化、面白さ。そういう部分にすごく惹きつけられますね。
竹花入プラス花という要素のコンビネーションが伝えるメッセージ。見ている側に伝わってくるもの、あるいは汲み取らせるもの。その奥深さや面白さが最高だと思うのです。
まっすぐ伸びた虫狩のひと枝と、自在に曲がり、若葉茂る山吹。その対比を生かして山吹(やまぶき)、虫狩(むしかり)
磁州窯唐草文梅瓶(じしゅうようからくさもんめいぴん) 中国・明時代
磁州窯の梅瓶に、2種の枝もののそれぞれのラインを出すため、必要な花や葉だけを残す。異なる花の白と黄色の対比も美しい。一方で、茶席の花器として中国の焼物を用いることもあります。日本や朝鮮半島ではどこかしら欠落したものに美を感じますが、中国の焼物は無傷で完品であることが尊ばれます。
大きくかけ離れた発想ですが、では茶の湯の世界ではどちらが好まれるかといえば、それは両方とも、どちらもよい。亭主が美しいと思うもの、そのときのメッセージに必要だと思うものを選ぶ。よい意味でのいいとこ取りとでもいいましょうか。
特徴のある枝ものも受け止める口が欠けた常滑の古壺の自然な佇まい白花紫蘭(しろばなしらん)、山茱萸(さんしゅゆ)
常滑三筋壺(とこなめさんきんこ) 鎌倉時代
無作為で単純なすがたが秀逸な古窯の壺に、枝もの1種と草もの1種を。山茱萸の枝ぶりを生かし、白い紫蘭を添えている。利休をはじめ、その周辺の人たちは、欠落や歪いびつに宿る美を好む一方で、中国からもたらされた傷一つない焼物も用いた。そういう自由さが、茶の世界にはあるのです。
〔ワンポイント〕花留めの工夫
「口の広い壺に大きな枝を入れる」場合
口の広い花器に枝ものを入れる方法の一つとして、枝の下の先端を折って花留めにするものがあります。これだけでも枝は安定しますが、さらにしっかり留めたいときには、枝に他の大きな枝や石などを括りつけるとよいでしょう。 撮影/本誌・坂本正行 取材・文/福井洋子
『家庭画報』2023年4月号掲載。
この記事の情報は、掲載号の発売当時のものです。