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“桜狂”の人、笹部新太郎氏の「笹部さくらコレクション」

2023.03.31

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江戸の桜画派


笹部コレクションの白眉を成すのは、何と言っても江戸時代の桜画派=三熊派(みくまは)の絵画である。三熊派は今から270年ほど前、京都において「桜花だけを描く」画派として起こったが、わずか60年ほどしか続かなかった。

始祖は京都・鳴滝出身の三熊思孝(しこう)(1730~1794)で、彼もまた現代では忘れられている。

同時代の著名な文学者・大田南畝は自著の中で三熊思孝について、「…桜画の一すじに心をこめ(…)世に名を知らるゝものなり。ここにおいて世の人これを賞翫(しょうがん)しこぞってこれをもてはやす」(『一話一言』巻36)と記し、非常に高く評価されていたことを伝えている。


桜守・笹部新太郎の遺産
三熊思孝筆・澄月賛
桜図

寛政6(1794)年
思孝最晩年の作品。2匹のクマバチは思孝によく見られる構図。画賛は江戸後期の和歌四天王の一人、僧澄月による。「山さくら見し色ながらよし野よくうつしてけりな花のゑまひを」。「表装の時季から考へると思孝没年も同じく寛政6年8月26日(年65)とあるから多分最も晩年の作であらう。」(笹部新太郎『櫻に因む蒐集品控Ⅲ』より)

三熊思孝
(みくま・しこう) 1730~94年。京都の画派、三熊派の始祖。京都・鳴滝の武家の家に生まれ、長崎の画家のもとで、18世紀前半に中国より渡来した花鳥画体を学ぶ。『枕草子』で清少納言は『桜は絵に描くと見劣りする』と述べるが、それは桜の花をうまく描ける人がいなかったからだと思孝は考え、約40年にわたり、桜花研究を目的に全国を行脚。植物学者のように色や形、花の性質に基づき、自然科学の眼差しをもって、桜だけを主題とする桜画を完成させた。

一見とても写実的でありながら、しかしその描写は決して硬質ではなく、あくまでも優しく抒情性に満ちた思孝の画を、人びとは親しみを込めて「桜画(さくらが)」と呼び、大いに愛した。

桜画は思孝に始まり、その画風を忠実に継承した妹の露香(?~1801頃)、そして思孝の弟子・広瀬花隠(1772 ?~1849頃)、また、露香の弟子で女性画家・織田瑟々(しつしつ)(1779~1832)ら、わずか四人で描き継がれた。

彼らは多くの弟子を持たなかったらしく、ゆえに一大流派とは成らなかったため、画派としての呼称がなかった。そこで筆者は三十年ほど前に、新たに「三熊派」と彼らを名づけ、美術史の片隅に記(しる)すことにしたのである。

桜守・笹部新太郎の遺産

未曾有の園芸ブームだった江戸時代の里桜を今に伝える“三熊派”の桜画

広瀬花隠筆 桜花三十六品色紙 短冊貼交屛風
六曲一双 江戸後期

「大型で其上、無類の保存の良さで更らに当代の公卿衆の和歌を花隠筆で短冊が添へてある。字体から、晩年の作であることが分る。(中略)僕の桜文献の尤ゆう物ぶつで実に日本一の三十六花撰である。」(笹部新太郎『桜文献控Ⅰ』より)




桜花を36品種選ぶ発想は、三熊思孝の独創で、露香、花隠と受け継がれた。思孝以前は、日本の美術史上、桜は観念的に描かれており、花の種類や表情の美質を描き分けようとする発想は見られない。「三十六花撰」作品は画帖形式がほとんど。貴重な屛風仕立ての大型作品を鑑賞する“三熊派”の名付け親・今橋理子さん。白鹿記念酒造博物館にて。

三十六花撰
桜花を見極めること


三熊派の特徴は何と言っても「桜のみ」を描くことにある。しかし画風は、やはり画家ごとに個性が光り、実に見応えがある。

始祖である思孝は自らを、「花狂い」を意味する「花顚(かてん)」と号した。俳諧文学にも才能をみせた思孝は、人生のおよそ40年間の春ごとに、桜の名木を訪ねる旅に時を費やしたという。そしてその旅の傍らには、いつも妹の露香の姿があった。一輪ごとの花や葉は写実的に描きながらも、幹や枝は水墨画の技法で時に抽象的な趣で描く――それは前例のない新しい桜花の表現だった。

三熊派が生きた時代は、身分を問わず多くの日本人が自然観察に熱中した、「大博物学時代」のただ中である。思孝もまた、桜花の種類や性質を植物学者のように見極め、熱心に研究したと伝えられる。

三熊派の伝統的画題となった桜画に、「三十六花撰」という36種類の桜花を描き分けた桜花図鑑がある。しかし、この「36」という数字には自然科学的な根拠はなく、いわゆる古典的な和歌の「三十六歌仙(かせん)」に準(なぞら)えた、如何にも江戸的な洒落(シャレ)を利かせた桜花の「三十六花撰(かせん)」だった。

とりわけ広瀬花隠はこの画題を好み、「桜花三十六品」と題し繰り返し描いた。そして、桜の神を祀る神殿「桜宮(さくらのみや)」を築き、そこに「桜花三十六品」の画を奉納するという壮大な夢を抱いたと伝わる。

三熊派が遺した桜花図鑑には、現代には絶えてしまった種類の桜花も、時に見出すことができる。三熊派の桜画は博物学流行の晴れやかな空気とも相(あいま)って、桜への深く静謐な想いに満ちているのである。

桜守・笹部新太郎の遺産
広瀬花隠 禁中左近桜図

広瀬花隠筆 禁中左近桜図(部分)
19世紀前半
歴史上初めて御所の紫宸殿の南庭に植えられていた「左近桜」を描くという名誉を得た広瀬花隠の作品。「画の保存、表装、ともに佳良の上に左近桜の画幅は常に一点掛軸ものを得たいと思ってゐたので買入。」(笹部新太郎『書画買入控』より)

桜守・笹部新太郎の遺産
三熊露香 糸桜図

三熊露香筆 糸桜図(部分)
18世紀後半
糸桜とは、江戸彼岸枝垂のことで、思孝の妹、露香が最も得意としたモチーフ。女性らしい優美な画風は公卿衆から賛辞が寄せられたという。
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