天空の森 ふるさとに築く「夢の王国」 幼い頃から風の中に季節の移ろいを感じ取り、四季それぞれの醍醐味を享受してきた田島健夫さん。自然に対する鋭い観察眼と繊細な感性は、本来、日本人の誰にでも備わっていながら、現代では失われつつあるものかもしれません。そんな田島さんが「天空の森」をつくるにあたり最初に決めたのが、自然の風をぞんぶんに感じられる場所にすることでした。
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新たな季節を待ち望む心、芳しい風の中に幸せがある
霞たなびく山間に佇むヴィラ「天空」。周囲に広がる森も大部分が「天空の森」の敷地で、田島さんが自ら植えた木も少なくない。オーナーの夢を形にしたこの王国をそぞろ歩くと、季節を告げるさまざまな草木や花の香りがシンフォニーとなって漂ってくる。 ©Taiki Fukao(NIPPON DESIGN CENTER)「このデジタルの時代に、自然界の移ろいは“潤い”となる」──田島健夫
僕の春は、クリーム色の小花をつける常緑樹、ヒサカキの香りから始まります。静かな水面に石を投げ入れると水紋がふわーっと広がるように、波状的に吹く風が独特の黄色っぽい香りを運んでくる。そして、ウグイスのジジジという地鳴きが聞こえてきたかと思うと、お化粧をしたメジロを見かけるようになります。
ヨモギ、カモミール、フキ、ニラ、タラノメなど、20種類にも及ぶ野草はすべて、「天空の森」産。メジロはカンツバキの蜜を吸うときに黄色い花粉が顔について、お化粧をしたみたいになるんですが、それが可愛らしくてね。ホトトギスという野草の芽が出てくると、川に稚鮎がのぼってきて、やがてうなぎも動き出す。そうやって、植物や動物が順番に春を知らせてくれます。
敷地内の広い池で暮らすカモたち。元気に泳いだり、集団で散歩する姿が愛らしく、スタッフやお客さまの人気者だ。撮影/齋藤幹朗春の花といえば、僕は「天空の森」を開業するとき、500本ほどの桜の苗木を植えました。子どもの頃の村祭りで花見をしたのが、とてもいい思い出だったからです。敷地が広い分、数が必要でしたが、すぐに花が咲くような大きな木を大量に買うお金はなくて。小指ほどの細い苗木を、10年後の景色を思い描きながら植えました。おかげさまで、現在は毎年、お客さまと一緒に満開の桜を愛でています。
田島さんの発案により、ヴィラはガラス戸を開け放して風を浴びられる稀有な構造に。ヴィラ「天空」は部屋で花見ができるのも魅力だ。撮影/齋藤幹朗長い間待ったこともあり、桜の花を見るといつも、「待ちわびる」という言葉が浮かびます。現代人は効率重視で、常に急いでいるように見えますが、長い目で計画を立て、ときには気長に待つことも大事です。そのことを僕に教えてくれたのは、杉の木をたくさん挿し木して、「この杉で将来家を建てろ」といってくれた祖父と、50年以上前に植えて、今では立派な大木に育った「忘れの里 雅叙苑」のクスノキです。
ここ3年ほど、気候変動のせいだけなのかはわかりませんが、自然界におかしなことが増えていて心配です。実は今年、ヒサカキよりも前に梅の香りが流れてきました。思えば、例年は12月頃に顔を出すフキノトウが1月下旬になっても出てきませんでしたし、みんな自分の出番がわからなくなっているように感じます。
桜の枝を器に並べた小菓子は鹿児島の郷土菓子「げたんは」(右から2つ目)やいちごのエスプーマ(中央)など和洋のミックス。ですから、本来なら順番に咲く花が一斉に満開になるといった異常現象も起こる。食べものにいたっては、技術の進歩もあり、多くのものが年中食べられるようになって、旬がなくなりつつあります。僕はうちのシェフたちに、四季を感じる料理を「走り、旬、名残」を意識して作るようにいっていますが、こうした言葉もいずれ消えてしまうのかもしれません。
田島さんの閃きから生まれた花見用の野草ずし。ナズナとあおりいか、ホトケノザと中とろなど、敷地内で摘んだ春の野草と魚介の組み合わせが新鮮だ。でも僕は、花や草の香りから季節の移ろいを感じ取るといったことは、このデジタルの時代だからこそ必要な“潤い”だと思うのです。今は誰もがデジタルに夢中ですが、いずれ必ず振り子のようにアナログに戻ってくる。その確信からつくったのが「天空の森」です。
子どもたちが登れるようにと、盆栽の要領で形を整えてきたエノキの大樹。「こんなふうに座れるようになりました」。待ちわびる気持ち、その日その場所でなければ出会えない自然の神秘や旬の味にときめく心。そんなアナログな感性と自然の尊さを一人一人が思い出すことができれば、今ならまだ、人と自然が共生する世界を未来に残せるかもしれません。
「天空の森」オーナー 田島健夫(たじま・たてお)
敷地内一の桜の名所「桜谷」で、花見酒を楽しむ田島さん。「昔の人のように歌を詠みたくなりますね」。1945年、鹿児島県・妙見温泉の湯治旅館「田島本館」の次男として生まれる。東洋大学卒業後、銀行員を経て1970年に茅葺きの温泉宿「忘れの里 雅叙苑」を、2004年に約60万平方メートルのリゾート「天空の森」を開業。尽きないアイディアと類稀なる実行力で、日本の観光業界を牽引する。
撮影/本誌・西山 航 取材・文/清水千佳子
『家庭画報』2023年4月号掲載。
この記事の情報は、掲載号の発売当時のものです。