私が想像するよりも、はるかに二人の行動範囲は広かった。デパートに買い物に行ったり外食をしたりはもちろんのこと、一緒に旅行もする。歌舞伎観劇に行ったり、美術館巡りをして楽しむ。
もちろん、二人共経済的な基盤がしっかりしているからこその行動力だが、それ以外にも、二人は自分たちの関係を保つための課題をよく理解していた。ここで昨年の秋に菊地氏から来たメールを断片的に紹介してみたい。
「彼女も僕も独立心がかなり強く、1人の時間と一緒の時間をそれぞれ大事にしています。」
だから、必ずしも毎日のようにホームや外のレストランで待ち合わせて食事はしない。それはせいぜい週に2回くらいだという。
健康に留意するのはもちろんだが、「したいことは元気なうちにしよう」といつも話し合っている。セックスも月に3回くらいだが、お互いに「いける」ことは想像外の喜びだそうだ。
ホームの他の入居者は、二人の関係に気づいているようだが、変な態度を取ったりはしない。たいがいは淑子さんが菊地氏の部屋に来てくれる。しかし、廊下で誰ともすれ違わない時間帯にしている。私もそのホームを所長さんに見学させてもらったが、広々としていて、ずっと案内をしてもらっている間に、廊下で人影を見かけることはなかった。プライバシーの確保に配慮されているのだろう。
「とにかく後10年は元気でいようと二人で話し合っているんですよ」と言う菊地氏は、以前、日本橋の千疋屋で会った時よりもはるかに若返っていた。男性としての自信に満ちているように見える。歩き方も話し方も驚くほど活気があり、私は恋愛の持つマジックを目の当たりにした気分だった。
二人とも持病もあるし、身体が重く感じる日もある。決してスーパーマンではない。年齢相応の老いは訪れているのだろう。だが、何より私が感嘆したのは、今の時間を無駄にせずに、生活を楽しもうという姿勢だった。
恋愛に関してのみ言えば、二人は恋を貫くために実に周到な交通整理をした。それは何も親族のしがらみを切るとか、交友関係を仕切り直すという意味ではない。無理なく良好な関係を保つために、ゆっくりと環境を整備した。まずは、本来の自分の生活のリズムを性急に変えようとはしなかった。むしろ、恋愛を自分が本来過ごして来た時間の中に少しずつ上手に組み込んだ。
私なんて、若い頃はまったくおっちょこちょいの至りで、すぐに結婚しようとか一緒に暮らそうとか考えてしまった。目前の状況をよく見極めて、うまく時間を交通整理する余裕があれば、もう少しまともな人間になっていたかもしれない。考えてみれば、若い頃は無駄な恋愛ばかりしていたし、年を取ったら、恋愛が出来るほどのエネルギーも容貌も気力も失ってしまった。
でも、菊地氏のケースを知ってつくづくと悟った。もしも自由な精神を持っていたら、人間は何歳になっても快楽を楽しめるのだ。そして恋愛はいつでも私たちに幸せを運んでくれるに違いない。
工藤美代子(くどう・みよこ)ノンフィクション作家。チェコのカレル大学を経てカナダのコロンビア・カレッジを卒業。1991年『工藤写真館の昭和』で講談社ノンフィクション賞を受賞。著書に『快楽』『われ巣鴨に出頭せず――近衛文麿と天皇』『女性皇族の結婚とは何か』など多数。