最大の功績は、泰平の世を築いたこと
拝殿で家広さんを迎えたのは、第13代宮司の姫岡恭彦さん。家広さんは「装飾などをじっくり拝見するのは初めてです」といって、姫岡宮司の説明に熱心に耳を傾けていた。徳川家康はなぜ、泰平の世を築くことができたのか。家広さんは、「中国や朝鮮を征服しなくても、国内の未開地を開拓すればいいと気づいたのが家康の最大の発見であり、平和の基礎だと思います」と話します。
その背景には、豊臣秀吉の命により、辺鄙な田舎町だった江戸へ追いやられた家康が、城下町をつくるために海を埋め立て、洪水被害が問題になっていた利根川を付け替える大事業を決行し、江戸を豊かな都市に発展させた成功体験がありました。
「家康は秀吉亡き後、朝鮮に出兵していた日本軍を呼び戻し、全国で干拓工事を進めていきました。経済基盤をつくることで、永続する平和を築いたのです」。
姫岡宮司が注目したのは家康の学問における取り組みです。「家康公は泰平の世を築くには学問が重要であると考え、出版事業に力を入れ、『群書治要』を印刷させました。人の上に立つ武士に読ませることで、国をまとめていこうと考えていたのでしょう」。
『群書治要』とは『論語』や『史記』など60以上の文献から治世の参考となる言葉を抜粋、編纂したもの。全47巻が約100冊印刷され、臣下に配られました。
「戦(いくさ)のない状態が『平』、人と人の間が麗しい状態が『和』。『平』でなければ『和』なんていってられませんが、『和』がなければ『平』は長続きしない。ワンセットなんですね」と家広さん。
家康が築いた260年の平和。その記録を更新できるかは、今を生きる私たちにかかっています。
家広さんお気に入りの狛犬。