徳川家康の秘密 第8回(全26回) 東海道で結ばれる出世の道を巡りながら、人間・徳川家康の実像と、意外に知られていない現在の日本人と家康との関係に迫ります。
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遂に天下を取り江戸幕府を開いた家康は、名古屋に近世城郭の最高峰とも称えられる城を築きました。金の鯱(しゃちほこ)を頂く壮麗な天守に、技と贅を尽くした本丸御殿。名古屋城の出現により、尾張の中心はそれまでの清須から名古屋へと移ります。城がもたらした城下町の繁栄、その街作りは現在の名古屋の原型ともなりました。
名古屋(愛知)
名古屋城1615(慶長20)年、徳川家康によって築城。天下の名城の誉れ高く、城郭として旧国宝第一号に指定された。戦災で焼失するも特別史跡として、往時の栄華を伝える。2018(平成30)年に本丸御殿の復元が完成。天守は現在閉館中。●愛知県名古屋市中区本丸1-1 TEL:052(231)1700 開館時間:9時~16時30分(本丸御殿・西の丸御蔵城宝館への入場は16時まで)名古屋城
泰平の世を映し、栄華を極めた天下の名城が今に甦る
本丸御殿当初は尾張藩主の住居であり藩の政庁として建てられた本丸御殿。5部屋からなる「表書院」は、藩主に謁見する際に使われた。関ヶ原の戦いを制し、江戸幕府を開いた家康は、1610(慶長15)年に名古屋城の築城にかかります。そこには西の豊臣方をけん制する意味がありました。完成を見たのは1615(慶長20)年。徳川の威光を存分に示す絢爛豪華な城が、泰平の世の訪れを告げました。
「榊原康政は戦国の世でも活躍したけれど、もしかしたら家康が国の基礎を固めていくうえで、とても頼りになる家臣だったのではないかと思うんです。憶測ではあるんですが、たとえば本多忠勝のように戦で派手に名を上げるというより、学んだ知識を武器に、生涯を通して堅実に仕事をして家康を支えた人だったのではないかと。そういうところが素敵だなと思います」
復元なった本丸御殿に足を踏み入れた杉野さん。壮大なスケールと技術の粋を尽くした豪華な装飾に、「圧巻ですね」と目を見張ります。
空襲でほとんどの建物が焼失したものの、幸いにして貴重な史料が残されていたために忠実な復元が可能となり、家康も目にしたであろう華麗な姿が今に甦りました。
築城の年、家康はこの地から大坂夏の陣に出陣し、戦国の世に終止符を打ちます。75歳の人生に幕を下ろしたのは、翌1616(元和2)年のことでした。
本丸御殿最も格の高い「上洛殿」は、3代家光が京都に向かう途中に宿泊するために増築。狩野派による襖絵、天井板絵、彫刻欄間など当時最高峰の技術が集結。 写真/名古屋城総合事務所 撮影/小林廉宜 取材・文/河合映江 スタイリング/伊藤省吾〈sitor〉 ヘア&メイク/後藤 泰〈OLTA〉Tシャツ8800円/タウンクラフト(セル ストア) その他/スタイリスト私物
『家庭画報』2023年5月号掲載。
この記事の情報は、掲載号の発売当時のものです。