孤篷庵にある松平不昧(ふまい)公の墓所とその両脇に建つ、平瀬家・戸田家の寿塔
遠州忌が営まれる孤篷庵と戸田家には深い縁があります。庵内奥には松平不昧の墓所があるのですが、戸田家はその脇に墓所の場をいただいているのです。
遠州忌茶会の席主を務める前に、松平不昧、平瀬家、戸田家の墓所に参る戸田 博さん。右の大きな墓石が松平不昧の、その左が戸田家の墓所である。孤篷庵敷地の奥に土塀で囲われて建立された特別な場所。ちなみに反対脇には平瀬家の墓所があります。このように不昧公を中心に3つの石塔が並ぶという、特別な待遇を得た立役者が、平瀬露香(ひらせろこう)と戸田露吟です。
平瀬露香は江戸時代の終わりから明治の初めに活躍した大阪船場の両替商で、上方を代表する好事家としても知られる人物。その露香と同時代を生きたのが、当家8代目の戸田露吟でした。
260年以上続いた江戸幕府の終焉とともに、旧大名家や茶家は家を守るため、多くの家宝の道具類を手放さざるを得なくなりました。この激動の時代に、道具の「目利き」として知られた露吟は、自身の審美眼と度胸でもって流出した名物道具を買い、次世代のあるべき場へと納めていきます。
その中で茶の湯の同門でもあった露香とともに孤篷庵に出入りし、庵を支えたことから、両家の墓所は特別に松平不昧の両脇に建立を許されたのです。
戸田家にとっては孤篷庵は菩提寺であるとともに、当家中興の祖である露吟ゆかりの寺であり、茶の湯において各時代の美の巨人であった小堀遠州、松平不昧との縁を再認識できる特別な場所でもあります。
一美術商として幾度も遠州忌の席主を務めてきましたが、今回の薄茶席は8年ぶり。遠州作の茶室「忘筌(ぼうせん)」の床に翠巌宗珉(すいがんそうみん)筆の「柳緑花紅」を掛け、砂張釣舟花入に大山蓮華を入れました。
釣りの花入をあえて卓に置き、この時季、喜ばれる大山蓮華のひと枝を大山蓮華(おおやまれんげ)
砂張釣舟花入(さはりつりふねはないれ) 小堀遠州箱書
孤篷庵は小堀遠州が晩年を過ごした隠居の庵。後年、寛政年期に火災に遭い、いったん焼失するが、遠州を崇敬する松平不昧により再興された。その縁により、孤篷庵は松平不昧の菩提所ともなっている。今回の遠州忌の道具組にはその重みにふさわしい取り合わせがなされた。
遠州の箱書が添う砂張釣舟花入を床に、点前座には小堀遠州の3男権十郎篷雪箱書の唐物朱中次、遠州流2世大膳宗慶箱書の本手斗々屋茶碗「春山」。そして遠州流8世和翁宗中の茶杓「矞雲(いつうん)」の外箱には、平瀬露香と戸田露吟が書付をしている。抑え気味でシックな茶碗や茶器に対して、水指は華やかな法花蓮華文を合わせ、名品道具同士でコントラストをつけた取り合わせとなっている。通常、釣舟花入は釣って用いますが、もともとはインドネシアで祭壇に置かれていた什器を、茶人が花器に転用したのだとか。この釣舟は特異な形をしていて存在感があり、私は咄嗟に卓に置くほうが美しいと感じました。
タイミングよく益田家伝来の根来卓が手元にあり、置いてみるとピタリと忘筌の空間に合いました。その時だけの道具同士の出会いもまた、茶の湯の醍醐味です。
撮影/本誌・坂本正行 取材・文/福井洋子
『家庭画報』2023年5月号掲載。
この記事の情報は、掲載号の発売当時のものです。