建築史家・建築家 藤森照信先生と訪ねる── 受け継がれたチューダー様式の洋館【旧渡辺甚吉邸】(後編) 昭和9年、東京都港区白金台の閑静な住宅街に建てられた一軒の洋館住宅。取り壊しの危機に直面したこの歴史的建造物が、多くの人々の熱意と、前田建設工業の賛同により、ほぼ完全な形で昨年、移築復原工事が完了し、登録有形文化財に今年、登録されることになった。歴史的建造物の保存への意識が高まる中、民間企業による活用保存の貴重な成功実例を、家庭画報本誌でおなじみの建築史家、藤森照信先生と訪ねた。
前編の記事はこちら>> 旧渡辺甚吉邸は、「我が国のチューダー様式住宅の傑作」として2023年2月27日、正式に国の登録有形文化財に登録された。アーツ・アンド・クラフツ流のチャペル風の応接室。手の込んだ室内制作は三越家具部による。今 和次郎(こん・わじろう)デザインによる照明など、細部装飾は圧巻。戦後、旧ラオス大使公邸や旧スリランカ大使公邸などとして利用されていたが、築90年近い旧渡辺甚吉邸の保存状態が極めてよいのは、建物の価値を知る渡辺家がワンオーナーとして愛着を持って管理していたことが大きい。椅子は、渡辺家親族から寄贈されたもの。私が発見した芸術性高き洋館住宅
── 藤森照信(建築史家・建築家)
すぐ気づくように、柱や梁といった木部が賑やかな装飾で埋められている。ルールのあるような無いようなこうした謎めいた装飾こそ垂直性と並ぶゴシックの特徴で、これだけの充満度を見せる例は日本では他に知らない。
【応接室の「親柱」】無垢材に大胆な斫(はつ)りと四つ葉のような模様が彫り込まれた太い柱。【竣工時の「食堂の椅子」】三越家具部に修理を依頼したオリジナルの椅子。舶来品の可能性も。家具に使われているアーチの先が尖っているのを“尖頭アーチ”と呼び、ゴシック固有。
漆喰装飾が施された食堂の天井。解体したところ4つの円で1つのパネル、合計20のパネルで構成されていることが判明。破損の激しい2つのパネルは前田建設工業による超高精細3Dデータを駆使して再現。ダイニング家具は竣工時にあつらえたもの。食堂の天井は平らでなく強い凸凹が付くが、これも晩期ゴシックの天井の作りに由来する。
竣工記念誌『渡辺邸』(1934年)より外観はチューダーで統一され、内部もチューダーを主としながら、夫妻用寝室は、一転、白い優美なロココ様式で飾られ、さらに伝統の数寄屋造の和室もある。いろんな様式を平気で混ぜるのが、19世紀前半の最終局面を迎えた洋館の特徴でもある。
様式美のパッチワーク
解体した結果、外観の柱は構造材ではなく、付け柱であり、構造自体は、柱が壁に隠れる大壁形式であることが判明。これにより、部屋ごとに異なった様式を取り入れることを容易にした。
ロココ様式の寝室2階の主寝室は18世紀フランス宮廷に花開いたロココ様式を採用。
ゴシック風の居間竣工時にはソファセットが置かれていた。イングルヌック併設。
ロッジ風の食堂節ありのヒノキ材を使った、山小屋風の食堂。床は鉄平石。
数寄屋造の客室2階の客室は伝統的な数寄屋造の座敷に。柱はすべて化粧材。
日本の洋館には極めて稀なロココの部屋、チューダーの部屋のランプやラジエーターグリル(カバー)の金物の素晴らしいデザイン、この二つは、今和次郎がこの住宅の設計に参画してくれた賜物というしかない。
【応接室の「ペンダント照明」】早稲田大学で教鞭をとり続けた今和次郎の貴重な実作の一つ。【広間の入込みの「グリル」】今 和次郎のデザインによる「ラジエーターグリル」の一つ。渡辺甚吉は自邸の建設にあたり、旧知の建設業者の遠藤健三を伴ってイギリスを旅し、帰国後、遠藤は早稲田の建築学科の恩師今和次郎と、勤め先だったあめりか屋の先輩山本拙郎の二人を巻き込んで設計と建設を進め、完成している。