吹き抜けの階段ホール。ダークオークの無垢材に手斧斫(ちょうなはつ)りやチューダー調に彫り込んだ手の込んだ木彫は現在では再現困難な装飾。チューダーのギッチリ詰まったこの家の移設が完成し、一通り見終わった後、私には一つの謎が残った。2階の小さなホール(階段室と踊り場)の空間がどうしてあんなに入り込むのか。
【階段まわりの入り込んだ空間】謎めいた階段室と踊り場は、上下階、各個室の分断を避ける工夫。邸宅としてはそう広くない中で、主動線と副動線を分けるという当時の邸宅の基本を踏まえたこともあるが、それだけではエッシャーのだまし絵を見るような謎めいた印象は説明できない。そこで改めて記録を読むと、
「間取及全計画の概要は、山本拙郎の心行くまでに練り上げたものだと云うのだから、邸宅建築としての根幹にゆるぎはない」(今和次郎)
というのにどうして2階ホールの空間はエッシャー化したのか。この空間について今は、
「階上と階下との区別をなくし、邸宅内全体を柔くする為にホールの床を空洞にして手摺を囲らして透している」。
1階の各室と2階の寝室及び子ども部屋の関係が分断されるのをできるだけ避けるために、階段室に空洞をうがちスケスケの手摺りを多用した、というのである。
【空間にリズムを付ける「アーチ」】パブリックな1階とプライベートな2階を分ける表階段のアーチ。当時、山本は、壁で各室に分断される住宅からどうしたら壁を少なくし、住宅全体を一体化できるかに思いを馳せていた。その思いは早逝した山本の存命中は実現できなかったけれど、戦後になり、山本の後輩たちの知恵と工夫によりLDK(居間・食堂・台所の一室空間化)が実現している。
もし今が山本の思いについて書いていなければ、2階ホールの謎は建築探偵も自力では解けなかった。
目を見張る室内装飾技巧
考現学の提唱で知られる「幻のデザイナー」今 和次郎の貴重な実作を中心に、手の込んだ細部装飾がこの建物の文化的価値を高めている。
今 和次郎によるペンダントライト民家風の素朴な玄関のペンダントライト。
「モンキーテイル」取っ手金具は猿の尾のような螺旋モチーフ。
1階化粧室の「泰山タイル」泰山製陶所の美術工芸タイルが継承された。
今 和次郎のスイッチプレートブドウのモチーフがあしらわれた装飾。
棚扉「リネンフォールド」折り畳んだリネンのような模様。
米国シュラゲ「ボタン錠」海外の最新製品が多く用いられた。
旧渡辺甚吉邸移築復原2018年より、学術研究と並行しながら約半年かけて丁寧に解体。2022年3月、前田建設工業により、同社が茨城県取手市に構えるICI総合センターに移築復原工事を完了。可能な限りオリジナルの部材や技術を生かしつつ、3Dデータなど同社が持つ最新技術を使って、忠実な復原が行われた。 〔特集〕建築史家・建築家 藤森照信先生と訪ねる── 受け継がれたチューダー様式の洋館
文/藤森照信 撮影/本誌・西山航
『家庭画報』2023年5月号掲載。
この記事の情報は、掲載号の発売当時のものです。