男は犬を抱き寄せながら不思議な夢の意味を考えた。
地球誕生から46億年、それを24時間に換算すると……。
たとえば恐竜誕生から滅亡まで1時間。これはまぎれもない地球の歴史の一部だ。それに対して、サルから枝分かれした猿人の登場から現在まではたったの約60秒……。人類がやっと “農耕牧畜” を開始して人間らしくなってからだと、その時間はなんと0.02秒である。
これはあってもなくても大差ない数字であり、どうやら夢に現れたこの世界を創った何者かが現在の結果が気に入らず、その部分をなかったことにする決断をした……ということらしい。自分の脳ではとうてい考えつかないと思われる筋書きのリアルな夢は、何か凄みと現実味があった。
現生人類は確かに地球の覇者である。しかし王者ではない。王者とは “王道” により、徳を用いて治政する者を言い、多くは世襲制である。
これを生物界に当てはめて “徳” を “生態系の規律” とするならば、それを守るために存在する空・陸・海の肉食生物たちが王者に相当する。対して覇者は “覇道” により武力や権力で天下を治める者であり、暴力的で下剋上の要素もある。
「生態系の一部に過ぎなかったサルが覇者になったのは、間違いだったのかもしれないな」
それが男の結論だった。まばゆい光に包まれた “太陽の顔の誰か” は「犬を次の人類に引き継がせよ」と言った。
何かの動物が人間になるためには “生き物としての獣の部分” を捨てなければならない。天敵の恐怖に脅え、逃げ回りながら狩猟採集でエサを得る生活を続けた場合、肉体の栄養は動物的な視力、聴力、嗅覚、筋力の発達に消費され、またその生命時間も逃走や攻撃ばかりに費やされるため、脳を発達させる余裕がなくなってしまうだろう。現生人類は幸運にも忠実な犬たちの協力を得ることに成功して、生物学的下位であるサルからヒトに成り上がったのである。
“犬が味方に付いたサル” が “ただのサル” より圧倒的に有利なのは想像に難(かた)くない。実際に多くの人類学者は「現在の人類の生物学的地位は犬たちの存在なしでは不可能だった」と結論づけている。
どうやら “世界最古の家畜” である犬たちは “何かの生き物” が生物圏の覇者になるためには必要不可欠の存在らしい。地球の仕組みに関与していると思われる “太陽の顔の誰か” の “お告げ” を冷酷かつ簡潔にまとめると以下のようになる。
「現在の人類を絶滅させたい」
「現生人類の歴史は0.02秒の価値だからなくてもよい」
「現生人類に代わる別の新しい人類に総入れ替えする予定がある」
「次期人類が原始人から文明人になるためには、前回同様に犬たちのサポートが必要だ」
「だからお前はあと100年生きて犬たちを守り、次期人類に託せ」
「そのためにお前の歳をとる時間は遅くしてある」
男はぞっとして愛犬を強く抱きしめた。愛犬はそんな男の心配を知る由もなく、「私がついているから大丈夫ですよ」と再び顔を舐めた。