――演出家としての野田さんに対しては、どんな印象をお持ちですか?「作品を作っていくことに対して、確固としたやり方がありそうに見えつつ、座組に入ってくる俳優のあり方によって変えていける柔軟さも併せ持った、不思議な方。稽古をしていても、“俺の世界なんだから壊さないで”ということが一切なくて、ご自分が戯曲を書かれたのに“こういう時って、こういう感情になるのかな?”と野田さんが聞いてきたりするんです。それでいて、すべてを包括的に見ている、作家としての野田さんの目もどこかにあるので、俳優同士に思える時もあるし、演出家に見える時もあるし、戯曲を書かれた作家さんだと感じる時もある。立場がひらりひらりと入れ替わっていくのが新鮮で、見ていて面白いです」
――そういう一生さんも、作品や演じる役によって、違う人物に見えます。プライベートまで役に影響されたり、撮影や公演が終わった後で“役を抜く”ようなことがあったりするのですか?「自分ではよくわからないです。今日はなんだか物腰が柔らかいなと感じたり、最近ちょっと物言いがきつくなったなと思うことはありますけれど、後になって“あの役が影響していたのかもな”と思うくらいのことです。基本的に僕は、役によって“人が変わっている”というふうには捉えていないので、役がくっついてしまったから抜く、というようなことは、やったことがないです」
――オンとオフの切り替えが上手なのでしょうか。「どうでしょう、役のスイッチを入れるという感覚自体、特にないですから。そもそも、人に対しても自分に対しても、特に個性があると思ったことがなくて。自分は、というか人は器でしかなくて、クラウドのようなものから、その時々の感情や性格を落とし込んで生きている気がします。だから僕は、人の個性についてもあまり追求しないというか、定義づけることもしていないんです」